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亜季ちゅんのながいツイート

ところで、なぜ私が閉塞の表現を行っているのか。
これは私の、大変未熟ながらも人生の結論として至った
所作になります。経緯ともいう。
(続く)

わが国の高度経済成長期より遥か後に生を受け、また物心がつく前に安定成長期は終わっていました。しかしながら、そんなマスメディアの喧伝とは関係無く、いつまでも大人たちは「仕事は嫌だ、デートの相手が欲しい」とばかり申しておりました。いつでも全く人は変わりません。
(続く)


私が思うのは、皆それぞれ嫌なものを抱えて生きている、ということです。何か惹かれるものがあっても、それに阻まれたり、しがらみに絡みつかれている。何処か共通目的のコミュニティに属していても、ふっと消えてしまう方、多いですよね。
(続く)

今あるものに新規参入したり、新しい分野を開拓してみたり。あまりにもハードルが高すぎます。前者は間接的にコミュニティに阻まれ(競合)、後者は何年も相手にされません。そして無手でできることはあまりにも少ないのです。そしてそれ以外の外的要因が、体中に纏わりついてくるのです。
(続く

立派に行動を起す/起さないといった話ではなく、何をしようとも伸し掛かっている何かがある、と言いたいのです。心を整える習慣によって夢を掴む!という話でもなく、ただただずっとそばにあり続けるもの。人によって色んな名が付けられていると思いますが、私はこれを「閉塞感」と呼ぶこ(続く

木曜

今も昔も(楽しい思い出も)、「閉塞感」は誰しも常にありました。心配事と言うには漠然とし過ぎていて、自分自身への不満とも取れる、社会環境からの脱却願望、あるいは金銭と名誉への欲目。これと個々人のネガティブな事情と重なり(主観の)世界が閉塞していると感じられるのです。(続く)

私の閉塞感の行く先を話しましょう。「なんて下らないことを考えているんだ」という感想を抱く人への想起、これが私の目標の1つです。この目的に金銭価値など無く、しかし全員が持ちえている感覚だからこそ、先入観の無いまま数々のアプローチで個々人を抉るものはきっとあるはずですから。(続く

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「その目標を達成してどうなる?何か意味があるのか?」
さて、現実にゲームのようなエンドはありません。終わりのない大空のようなものです。意は矛盾しておりますが、終わりが無いこと、これもまた閉塞していると考えています。終わりの無いものは、命がある限りまでしかすることができま(続く

なぜ考えることを止め、いつしか忘れ、私のする事を下らない事と断じるようになった?考えても意味のないことだからか?気持ち良くないし、楽しくない事だからか? 

はい、そのとおりです。ですが是非、留意していただきたいのです。「閉塞感」は、常にあなたを包んでおります。
(続く

最後に心を込めて。

「終わりのない大空と人びとの列」

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*人々は一つの方向に進みます。
*彼らの顔は見分けることができません。
*しかし彼らは素晴らしい価値があって、
*交換可能な人々なのです。

お読みいただき本当にありがとうございます。
(終)

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