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【お金のむこう】「定価のタグが幸せを隠す」の具体例

皆さんこんにちは。
FPサテライト株式会社所属ファイナンシャルプランナーの畑野あきこです。

最近田内学さんの「お金のむこうに人がいる」と「きみのお金は誰のため」を読み、何度も頭を殴られたような衝撃を受けました。

まだまだ理解できていない部分も多いですし、衝撃が大きすぎていろいろなところに適用している最中です。
自分のお金の使い方、時間の使い方、今のファイナンシャルプランナーとしての仕事、今後の進み方など、自分のこととして適用する過程を記事にしていきたいと思っています。

「お金のむこうに人がいる」のなかに「定価のタグが幸せを隠す」という見出しのついた部分があります。
今回はその見出しにまつわる具体的な例を考えていこうと思います。

要約

詳細は是非書籍を購入して読んでいただきたいと思うのですが、この見出しのあたりで書いてあることを要約してみます。


人が買ったものに価値を感じるのは、買ったものに「自分がいかに満足したか」という「効用」がある場合である。「効用」を増やせば生活は豊かになる。

しかし「効用」は人によって異なるため測定することが難しい。それを計る手段として「価格」が用いられている。

一方、この「価格」によって「効用」が見えにくくなったりしてしまう。自分の生活がどれだけ豊かになるかは「効用」によって決められるにも関わらず、「価格」がそのものの「効用」とまるで関連してしまうような気になってしまう。

一人ひとりの消費者が、価格のモノサシを捨てて、自分にとっての効用を増やそうとしないと、生産者も消費者も幸せになれない。

お金のむこうに人がいるp78より

「世の中お金じゃないよね」ということを、きれいごとではなく、資本主義ど真ん中を長らく走っておられた田内さんが大真面目に仰るのがこの本のすごいところです。

難しいことばはなく、直感的にこれは本当の話だ、と感じることがたくさん書かれています。

効用と価格の話を聞き、自分の体験と照らし合わせて本当にそうだなぁと感じたので、ここからはいくつか具体的なエピソードを紹介します。

父親のワイン

私がこの効用と価格の話を聞いて最初に思い浮かんだのは父のことです。

私の父は酒好きで、基本的にはビール党でしたが、たまにワインも飲んでいました。(今は大分量も減っていると思います)

その父が、スーパーで買った安いワインを「これが1番良いんだ」と言って飲んでいたことを私は恥ずかしく思っていました。

まるで「自分は高いワインの良さを分からない」と言っているようなものでないかと。なんでそんな安いワイン飲んでいるんだろうか、と。

この話を効用と価格の話で考えれば、父が美味しいという効用を感じて飲むワインの価値は、価格に影響されないはずです。

ところがその価格を意識することで、「安いワイン」の価値が下がっていくような気がする。「定価のタグが幸せを隠す」という状態だったなと思います。

もっとも、父にとってはどうだったかは別の話ですが。

自分の消費

自分の消費行動においてはどうだろうと考えると、いくつかの例が思い浮かびました。

私は普段洋服や化粧品にお金をかけるタイプではありません。夫の収入がメインで暮らす主婦なので、そんなに派手にお金を使えないということもあります。

日々の生活は満足しているものの、なんだか自分の買ったものたちの価値が低く感じるときがあります。それは、お金を持っているある友達に会うときです。

お金を持っているというのは、属性上自由に使えるお金を沢山持っているという意味です。
その子は、自分で稼いだお金を自分が好きなことに自由に使う生き方を選んでいます。

たまに会うときに、気に入って買った3,000円の服を着ていくのをためらうことに気づきます。

またいつもはドラッグストアで買っているコスメで工夫して化粧して満足しているのに、その友人の前では「安物だとばれないかしら」と心配になったりするのです。

タグの値段を意識して、自分の買ったものたちに自信がなくなる瞬間。理由もなく「もっと高いものが欲しいなぁ」と思ってしまいます。これもまた「定価のタグが幸せを隠す」の1つの形ではないかと。

お金を稼ぐ場面

そしてこのことは、お金を手に入れるフェーズである仕事においても当てはまると思います。

今私は、子育てを中心にしながら、幼稚園、PTA、教会に関わる事柄とバランスを取りつつ、「やってみたい」と思う仕事に携わることが出来ていて、満足しています。

そのはずなのに「月にそれだけしか稼げていないんだ」、という一言でたいそう動揺するのです。

どのくらい動揺するかというと、その劣等感を消し去るために、精神的に追い詰められるまでSNS集客に取り組んだり、「お母さんお母さん」と呼ぶ子どもたちを無視して仕事をしなければと思ったりするわけです。

これは私の稼ぎ自体の問題にも見えますが「あの人はもう昇進したらしい」「あの人は私より給料が高い会社に勤めている」というような事実を前にしたときに、結構多くの人が経験することではないかと思ったりします。

何かを買う場面ではないので少し違うかもしれませんが、効用を価格が覆い隠すというような意味では同じようなことかもしれないなと思っています。

まとめ

今回は「お金のむこうに人がいる」でいわれていた、価格ではなくて効用が大切だということについて具体例を考えてみました。

自分にとっての価値を見極めて必要なものにお金を使っていくことが大切なのだと思います。
また「稼ぐ」というフェーズでも価格で判断しないようにしたいと思わされます。

田内さんの仰る通り、お金というと、難しい単語、制度の羅列でテクニカルな部分が強調されがちですが、何よりもベースとなる1人ひとりの価値観が醸成されなければ、と思います。

すぐにお金を目的にして、比較したいと思ってしまう弱さを認めつつ。
「それで、何にお金を使うのか?」と考え続けなきゃいけないなと思いました。


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