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「死を想える」という才能

活躍している人、イキイキしている人、発言力の強い人の多くは、生き方について語るときに「死」について口にすることが多いように感じます。

「くよくよ悩んだってどうせいつか死ぬんだ、って思うとチャレンジできる」

「私たちは死に向かっている。今日が『1番若い日』だから、やれるうちにやりたいことをやろう。時間を大切にしよう」

「毎日を人生最期の日だと思って過ごそう」

とか、そういう感じの。

だからあなたも自分らしく生きよう。よく考えてみて、どうせ全員みんな死ぬんだから。と伝えてくれる。

(こういう本も。この本好きです)


確かスティーブ・ジョブスもこんなこと言ってた気がするし、
うちにたくさんある「インドの聖者の教えの本」的なものにも、きっとこういうこと書いてある(んだろうな、私はあまり読んでないから知らないけど笑

そういうのを聞くたびに「本当にそうだよな」「本当に素敵だな」っていつも強く共感してきました。
だって私が必ず死ぬこと、それが明日かもしれないことは、誰にでも当てはまる真理だから。

だけど「そうだよな」の納得の深さは人によって違う。
ここが腑に落ちてて『私は「本当に」いつか死ぬんだ』ってことが鮮明にわかってるほど、今の時間を大事にできるし、本当にやりたいことへの一歩も踏み出せる気がします。

うちの爺さんは老年後期、衰えと共にクソジジイ化していったんだけど
「死ぬことを完全に受け入れたんだな」っていう瞬間があって、そこから全く別人に生まれ変わって、晩年は仏様みたいでした。

爺さんが死んだ後カバンから出てきたおたから。
(仏壇にあげててお供え物をこぼして汚れてる🤣)

「爺さんがマジで別人になった!!」ってびっくりして、だから『死を想えること』の凄さは本当に感じたはずなのに


残念ながら私はいまいち、そこを深く納得できてない気がします。
だからしょーもないことにいっぱい時間を使うし、
いろんなことを「いつかやる!」って後回しにする。それが今すぐに始められて、自分を快適にすることだとしても。
多分どこかで「いつまでも時間がある」って思ってるから「いつか」なんだろうな。


「死を想えばもっと自分らしく生きられるよ」って言っても、
そもそも「自分の死をリアルに想える」っていうことそのものが才能というか、能力な気がします。

私もそれ欲しいなあ!!って考えてて
それには2つの要素が関わってるかも、と思いました。


死を想ってイキイキ生きられるための2つの要素


1つ目は経験。
「本当にいつ死ぬかわからない」って、自分ごととして想えるような経験。
自分が病気や怪我で死を身近に感じたことがあるとか、
もしも自分でなくても、身近な「歳の近い人」の死を経験するとか。それはとても辛いし悲しいんだけど、その経験があると「そうか、私もいつ死ぬかわからないな」がリアルになる。
それが自分にとって大切な人であればあるほど、痛みも大きいけど、「あの人の分まで生きよう」っていう動機ももらえる。
大災害とか、今の日本では現実的ではないけど戦争とかも。死ぬことが自分の隣にぐっと来る。

2つ目は
ちょっとまだ言語化が難しいんだけど、生きることへの根源的な希望というか。「自分は何者なのか」っていう理解というか。

そこがないと、いくら死へのリアルさがあっても「残された時間を自分の喜びの方に使おう!」って思えないかもしれない。なんなら、やけっぱちになる可能性だってあるかも。
逆に根源的に希望を持ってれば、「時間は残された分しかないんだ」って腑に落ちたときにいい意味で開き直って、本当に望んでいる方に使える気がします。



これを自分に当てはめて考えてみると

1つ目に関しては
私はお年寄りの最後に関わるのが好きなので、病院でナースをしてた時も高齢者の病棟ばかり志願してました。実の祖母祖父も長生き。
だから何となく「私も年寄りになるまで寿命を全うできるに決まってる」みたいな謎の確信があります(笑)「年寄りになるまではまだ時間がある」って漠然と思ってる。
自分の興味や縁のあった死との関わり方が「自分はまだ死なない」を強固にしてたんだろうなあ。

そしてこれは、ある側面から見ればすごくありがたくて幸いなことでもあって。災害や病気に遭わずに息災でいられているということだから。

必ずしも身近に死の経験がなくても、自分の死をリアルに捉えられる人ももちろんいると思います。
多分その人は転生回数が多いとか、それを強く思うような経験を過去世でしてるとか。なんじゃないかな。
「だって死ぬじゃん。だったらやろうよ」で納得できる時点で、そう腑に落とせるような経験を必ずしてる。それがもし今の人生で思い当たらないなら、過去の人生でしてるんだろうなあ。(って私は思います。これが合ってるかは知らないけど

もちろん自分が歳をとるにつれ「自分も死ぬんだな」はリアルになるだろうけど、できれば早いうちに腑に落としたいんだよな。

でもいずれにしてもこれって、自分ではどうにもできないこと。
運とか縁とか過去世とか。
ということで、1つ目に関してはあんまり今できることが思いつきません。



2つ目なら、何とか手を出せる余地がありそう。
生きることへの根源的な希望を持つとか、「自分は何者なのか」っていうことを理解するとか。

これは
憧れてる素晴らしい人に会いに行くとか
ヨガとか瞑想も助けになりそうだし、
スピリチュアルな学びをする
自分の好きなことを大切にする

とかも良さそう。
本当のことを知ること。そして自分自身や人生に希望を持てるような何かに触れる。

もしこうやって「『自分自身を』積極的に変えていこう」とさえ思えない場合には

言葉で説明できないもの
自分の概念を超えたものに身を預ける

っていうのが、きっとすごく役に立つだろうなとも思います。

「予想や概念を超えるものに触れる」ことは、「理解を超えた自分自身の一部に触れる」ことでもあると思うから。
それは自分の理解を超えたところできっと内側にある制限を外して、自分をもっと広く、自由にしてくれる。自分にその時、それが自覚できててもできなくても。

すごい景色を見るとか、神社に行くのでもいいだろうし、何か感動するようなものに触れるとかでもいい。
概念を超えて心を動かす何か。

何も考えずに圧倒されるとか、ポカーンとしちゃうようなことを体験するといいんだろうな。

そう思うと、「早く自分の死を身近に感じたい」って思ってたけど、

それにはもっと自分を楽しませたり
もっとたくさん感動したりすることが必要なんだとしたら、
何だかとっても贅沢な悩みにも思えてきます。もっと楽しんで、感動したらいいんだね。

人は絶対死ぬってわかってるのに、「絶対死ぬんだ」って自分には思えない
っていうコントみたいなことをしてる私。
しょーもないけどかわいいな。ウケる。


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この場所にいたら「死」がぐーんと身近になっちゃうかも。
間違いなく心が動くおすすめのイベント。ついに私もわかるようになるかな、自分はいつか死ぬってことが(笑)

5/21(土)13:30~
@東京オペラシティ・コンサートホール








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