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自分らしく生きられる人と生きられない人がいるのはなぜ

「自分らしく生きよう」っていうのが当たり前に言われるようになってきました。

その風潮の中でどんどん自分を解放して、それを仕事にまで出来てる人もいる一方で、
たくさんたくさん学んでも、どうしても踏み出したい一歩を踏み出せない人もいます。
そして後者の方が圧倒的に多いので、後者のためのサービスが本当にたくさん増えてるなあと感じます。


体を整えて心も変わる、
深く自分を理解する、
女性性の解放、
スピリチュアルなメッセージ、
複合の合わせ技、、、


「自分らしさ」を解放するためにはいろんな方法があって、自分に刺さるものが見つかった時って本当にアガります。


でもやっぱり、だからって
「人生丸ごと変わった!」
「生き方を変えた!」
くらいまで変えられる人って、まだまだ少ないように感じます。


「覚悟が足りないから」
「まだ本当のものが見つかってないから」

例えばこんなことが原因だと思って、また新しいサービスを受ける、、、
こういう人、少なくないんじゃないかな。

 

覚悟とか勇気、本当の自分。
そういうものって実は枝葉のことで、

本質的な原因はそこじゃないんじゃないかと私は思います。


「自分らしく生きられない」の根底にあるもの。




それは 「時代」




「なんだか」動けない、「なんだか」勇気が出ない、「なんだか」きっかけがない、「なんだか」続かない、、、



今「動きたいけど動けない」人は、
本人のエネルギー量に対して、背負ってる荷物が大きいんだろうなって思います。

荷物ってなにかっていうと、この「なんだか」っていうものの中身。



それは今までの時代で生まれた「負の感情」「人に限界を感じさせるような概念」
特に、戦争があったことから続いてる感情、集合意識、概念、、、

癒されていない哀しみや怒りの影響を、今の私たちはまだバリバリに受けて背負ってる世代だろうと思います。
それは親から、学校の先生から、あらゆるところで。


この時代にまだあるものだから、誰かは背負わなきゃいけない。だから、「よっしゃそれは私が背負うわ」って重たい荷物を背負ってる。重たいから動きにくい。
それはその人のせいじゃない。
今はそういう時代だから。


「自分らしく生きられない」と思ってる人は、一見動けていないように見えて、実は縁の下で時代を支えてるんだろうなあと思います。(そして私もその一人なんだろうな。本当はもっとどんどん進みたいけど「なんだか」思ったように動けない笑



今スムーズに自分らしさを発揮してる人は「先に行く」っていう役をするために

元々荷物が少ないとか、たくさん荷物があっても背負って下ろせるくらいエネルギーがたくさんあるとか。過去世の経験が多いとか。
とにかく「先に進めるように設計されてる」のだろうと思います。

もちろん、その人の努力なしには咲けないから、ご本人が努力しているっていうのはもちろん!言うまでもないのですが。

でもみんなが同じだけの努力や勉強をしたら、同じように咲けるわけでもない。
そもそも「努力ができる」「継続できる」「勇気を出せる」「深く考えられる」「完成させることができる」ことそのものが、その人のアドバンテージ、ギフトだとも思います。

そして自分らしく生きて先に引っ張っていく人は、
荷物が少ない、もしくはさっさと下ろす力があるけど
「まだない道」を創りながら歩くから大変。軽装でジャングルの中に道を作ってくれてるみたいな。
獣に噛まれる。岩が落っこちてくる。それでも進む。
進まずにはいられない人もいれば、進まざるを得なくて進む人もいる。


なかなか自分らしく生きられない人は、先に行ってくれた人が作った道を歩きながら、ゆっくり荷物を下ろしていく。
道は作らなくてもいいけど、荷物が重たくて大変。
そして大抵、先に行く軽装の人を見て、あ〜あ格好いいなあ、羨ましいなあって思う。それも含めて荷物w

 
そういうそれぞれの役割を、魂のレベルではみんな「自分で選んで」きているんだろうと私は思います。



どっちも大変だし、どっちも今の時代じゃないと体験できないことをフル体験してる。
今はそういう狭間の時代なんだろうなあ。

わざわざこの狭間の時代に来た私たち、物好きですんごい好奇心のかたまりだなあ!と思います(笑)


荷物を軽くする方法

じゃあ「自分らしく生きられない」っていう人は、耐えながら荷物を担ぎ続けなきゃいけないのか。この時代に生まれたから仕方ないのか。



もちろんそんなことはなくて、先に進んだ人が発見してくれたいろんな方法・サービスを体験できる。


でもやっぱり、たくさんサービスを受けても変わらないくらい荷物が重い人も多い。
何かを理解しても変わりきれない、またすぐに戻ってしまう。
それは荷物が重たいとも言えるし、「自分で自分に言ってる言葉が強い人」とも言えると思います。

一時的に気づきが深まったり感動しても
「どうせ変われない」
「やっぱり無理だよ」
「きっと無駄だよ」

心はそういう言葉を自分にかけてくる。

その言葉が、新しい体験の声よりも大きい。



じゃあどうしたらいいのか。

私は
「言葉を超えた領域」から 心を動かす何かを受け取る
っていうのが、すごく大きな方法だと思います。


自分の言葉で新しく理解しても、自分の中にある言葉に負けてしまう。
言葉の領域では勝負しても勝てない。
そしたら、「言葉じゃない領域」から心を動かす。

心の奥にある、怖さの奥にある、
「もっと輝きたい」
「もっとやってみたい」
「もっと大切にしたい」
「もっと手放したい」
「もっと表現したい」、、、

そういう「奥にあるもの」が振動しちゃうくらい、心を動かすものに触れること。


それは雄大な自然だったり、荘厳な芸能だったり、荘重な芸術だったり。
はたまた他人からの革新的な言葉や、ショッキングな存在感。
 

頭を超えて、自分の言葉を超えて
心を震わせるものに出会えることは、すごいチャンスだと思います。
  

必ずしも即効性があるわけじゃないし、いつの何が効いたのかわかんないこともある。

でも固まった心の奥にあるみずみずしい願いを、震わせて悪いわけがない。
それは刺激されてまた何度も奥に引っ込みながらも、必ず発芽する。きっと黙っていられなくなる。



ちなみに、東京オペラシティで近々そんな時間があります。

第1回 世界平和音楽祭


根本さんの指揮する音楽は、いつも勝手に心が震えます。頭を超えて。

この音を、時間を、きっと今たくさんの人が必要としてるんじゃないかと思います。
根本さんは「音楽で世界を平和にする」その礎になりたい、とおっしゃいます。
だからかな。

私はそんなに心を動かすつもりも気合もなく行っても、毎回勝手に心が動かされます。

何に動いてるのかもよくわからないけど、心が動く。心が開く。

「名だたる有名な指揮者のオーケストラを聞いてきたけど、初めて勝手に涙が溢れました」
そんな感想も少なくないそうです。

 

クラシック好きじゃなくても、音楽に興味がなくても。

「自分らしく生きていきたい」
「もっと自分を好きになりたい」
「もっと自分を表現したい」

そんな重い荷物を持った同志には、本当におすすめの公演です。


あ、もちろん先を行ってくれてる、道を創ってくれてる同志にも。
高密度で純粋なエネルギーを浴びられて、めちゃくちゃ浄化されます。
  

ぜひ一緒に、心の奥を動かしませんか。

https://heiwaongaku2023.peatix.com

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