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言葉に詰まる時-アルメニアとアゼルバイジャンとの紛争

私のたった一人の部下はアルメニア出身だ。先週の頭に彼女からアルメニアとアゼルバイジャンの紛争について知らされて初めて、ニュースやらGoogleでアルメニア、トルコ、アゼルバイジャン、イランなどの近代史を少し学んだ。

前回、1991年に戦争があった時、彼女は4歳だった。そして今また戦争がはじまりつつあり、従兄弟や、お友達のご主人が徴兵されているのだという。

今の仕事場にはアルメニア人や、アルメニア系の人たちがたくさんいる。以前住んでいた街はなぜかアルメニア系の人が多く住んでいる街だった。だからなじみがあるのか、というとそうではないけど。友達や同僚にイラン人もたくさんいる。よく考えると、大概の人は移民一世で、家族や友達の大概が祖国にいる。アルメニアとアゼルバイジャンとの紛争だと、イランも巻き込まれる可能性ある。確か去年の夏から冬にかけてはトランプが威嚇のために戦艦を送っていたと記憶にある。それでイラン人の友達は帰省を取りやめにしていた。

戦争って言われても私にはピンとくるものがない。小学校、中学校と修学旅行が広島だったから原爆記念博物館に行ったり、平和学習をしたりしたけど、自分が体験したものではないから、どんなに想像力を駆使してみても、想像がつかないのだ。

そして、部下の彼女とは毎日仕事でメールをするし、毎日ではなくても隔日ぐらいで電話で話をする。その時に彼女の声が沈んでいるのがはっきりわかるんだけど、そしてアルメニアにいる家族や友達が心配でならないし、自分一人別の国にいて、何もできない、ニュースを読むたびにどうにもできない無力さとなんで?という気持ちでいっぱいになる、ということを話してくれても、どう言っていいのかわからないのだ。

私が薄情、とかそういうことではなくて、こんな時、どう返事をすればいいのか、ただ聞いてるだけでいいのか、そんなことがわからなくて戸惑う。さらに、電話で話すのはもちろん仕事の打ち合わせで電話をしているわけだから、少し戦争の話をして、そして仕事の打ち合わせに移る、という流れになる。彼女の憂う気持ちに寄り添うこともできないくせに、なんだか社交辞令のように戦争の情勢の話をして、早く解決してくれることを望むばかり、という彼女のコメントに、その通りね、と言い、そして仕事の話に移すというのが、なんだかとても偽善的な気分になるんだけど。

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