長女業。

先日、伯父の葬儀に行ってきた。
伯父は母の兄である。
前回あったのは祖父の何回忌だったか。
おそらく、30年近く会っていまい。
ん?会った気もするな?いつだっけ。
それくらいの間柄であったが、母が冬の青森から出るのも色々とあったので、名代として、私が出席することとなった。

私は自転車で墓参りにいくことが多々ある。
割と平坦に行けるので、重宝しているコースでもある。
そんな、あのあたりに今日は電車とバスで行くのだが、何せ遠い。
自転車で2時間半ほどなのに、電車でも1時間+バス20分だ。
なんてこった。
朝7時半に家を出た私は、無事に電車に乗り込んだ。
読みかけの本に夢中になっていたのだが、車窓の風景にハッとする。
私今日は逆方向に行くんだよ!!!!!!!!!!おい!!!!!
慌てて、反対のホームに急ぎ、どうにか待ち合わせの時間に間に合う電車に乗れたのは奇跡だ。ふう。
なんだかんだあったが、無事に弟と一緒に斎場につくと、セレモニーホールの方に香典をだし、芳名帳という名の顧客台帳のようなものを書き、花代を支払っておつりを受け取り(伯母に払うと思っていたので小銭は遠慮した構成にしたのに!!こんなことならちょうど持って行ったよ!なんてこった!)
青森の片田舎で育った私には衝撃のライトさである。
まぁ。身内だけだし?伯父(別人)の時もライトではあったな。と、思い至る。
都会だね。

さて、話は変わるが、我が実家は浄土宗である。
浄土宗は、何故か木魚が裏打ちである。
伯父(今日の故人とは別人)の時は日蓮宗。こちらは頭打ちだった。
今日は、曹洞宗。
禅宗だぜぇ。
厳かに式が始まると、30分の読経タイムだ。
浄土宗に比べると簡素な服装のお坊様。
どの宗派でも葬式では見かけるふさふさを振るところから始まる。
なんだか祭壇との距離が近く、ふさふさへの引火の可能性に冷つきながら私は手を合わせた。
もうもうと上がる焼香。
読経が始まると、住職のいい声が響き渡る。
なかなかビブラートの効いたいい声だ。
ゴォォォンと鳴るでかいおりんが声に共鳴するようだ。
最初は日本語感のある読経からスタート。
ああ、伯父さん、お久しぶりです。
遺影は何故だか我が弟に似た部分があり、ああ、親族なんだなと実感する。
そこで母が、弟の足が自分の兄に似ていると言っていたな、とか、せっかく墓参りに行ってたんだから、寄ればよかったかな。とか、足が冷えるな。とか、葬式らしい色々を考えながら、やっぱり木魚が頭打ちな読経の渦の中に身を置いていたのだが。
そうこうするうちに焼香だ。
弟と一緒に焼香に立ち、挨拶も終えてホッと席に戻ると、燐列の親戚の焼香となった。
その中の一人に、私は刮目した。
焼香が、塩少なめの力士くらいはあるのではないかと量を3回投入しているではないか。
えぇええ!火消えない?大丈夫?
と余計な心配をする私。
しかし、火は消えることなく、煙が上がり続ける。
ホッと一息ついた頃に焼香は終わった。
はぁ、よかった。
ゴソゴソと長い線香を3本手探りで取り出し、火をつける住職。
そのあたりから、ご住職のボルテージが上がっていく。
日本語感のあった読経から、何語だよ?みたいな語感の読経になっていた。
もはや、ワナゲーワナビーゴーオン!英語か?なんだ?みたいに聞こえてくる。
私は、靭帯を切った時のMRIで、MRIのリズムとBGMのリズムの妙な一致がツボって笑ってしまい、技師に動かないで!!と怒られた前科がある。
気を引き締めてマスクの下で口を結ぶ。
しかし、無情にも何故かそこはサビなのかリフレインされていく。
そして、右手で木魚をたたきながら、木魚の隣に設置された高音のおりんの方に左手でりん棒をスタンバイし、リズムに合わせてチーン!と合わせていく。もはや、音楽的でもある。
絶対、サビだな。これ。
私は錆まみれの神職資格を持っているのだが、祝詞を読んでいるとなんだか気持ちいい部分があったりする(人によって違うと思う)
お坊さんにもあるんだろうな、読んでて気持ちいい部分。と、勝手な妄想をしているのだが、きっとここに違いない!!と思った。
読経もクライマックス。
大きなおりんと木魚の音が腹にくる。おりんがご住職の声と共鳴して謎のウワンウワンした音をホール内に響かせる。
立ち上がったご住職が、さっき火をつけた3本の線香を眠狂四郎のように回している。
そうして迎えたクライマックスを息を呑んで見つめる私。
ああ、またふさふさが振られる、今度は線香にモロ触っているではないか!
燃え上がったふさふさを振るサーカスのような光景を覚悟しなければならないのか。と思いはしなかったが、引火しないのが不思議でもあった。

続いて行われた初七日の法要も、変わらずあの人は山盛りの焼香をした。

そして、帰りに弟が、なんかすごい焼香山盛りの人いたよねと言い、私がふさふさへの引火を心配していた旨を伝えると、弟もそれを思っていたことが発覚する。

ぜひ、ふさふさを振る際は火の元に気をつけて欲しいものであるし、
焼香は、控えめにしてほしいものだと、笑ったのだった。

葬式でしか会わないひとがいて、一期一会だろう人も多い。
今日のホールの係の方が、母の同級生だった。
血のつながりのない遠い親戚の息子さんのお嫁さんが、私の実家の近くの出身であったりした。
縁とは面白いものだ。
伯父が亡くなり、母の実家は後継がいない。
母には伝えていたが、あの家の墓には穴が空いている。
お墓に水をかけると、コポコポコポと水琴窟のようないい音がする。
最初に気づいたのは、数年前多摩川や浅川が氾濫しかけたあの台風の後、心配で見に行った時のような気がする。
うーん、納骨までに石屋に見てもらった方がいいのではー。もしかして、納骨で直るのかなぁ。
という心配を伯母(母の姉)にも伝えているのだが、ああ〜心配。今日、喪主(母の兄の嫁)に伝えれば良かったのかもしれないが、そんな隙はなかったし、さしでがましいような気もして、悶々としている。

年5回くらい墓参りをしているので、実家の墓とはまた違う愛着がある(ちなみに、実家の墓には何年も行ってなかったりするw)
今後も注視していかねばと、無駄に責任感を新たにしたりしてみたりする今日だった。

私が生きているうちは、墓参りくらいは続けて、母の繋がりを持ちたいものだと、思ったりするのだった。

そして、母にいろいろを報告したら、弟と伯父が似ているのは足ではなく膝下全てだということが判明した。
どうでもいいけど。

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