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代償を払わなくてはならない関係を友達とは呼ばない

先日、とても嫌な思いをしましてね。それは、「俺は(自称)インテリなので、フェミニズムのことも完全に理解しているから君たちに寄り添うよ…」という態度でいながらその実もんのすごいインセルかましてくる(自称)インテリの知人に白目を剥くような上目線の説教をかまされたことなんですけど。

まあ、そんなわけでムシャクシャした私はレンタル彼氏を借りました。凪くんです。一時間一万円の漢でおなじみの凪くんです。凪くんはとても優しくいつものように素晴らしかった。神様かな?と思った。凪くんはすごいですよ。人の痛みに寄り添ってくれる。本当にすごい人です。

凪くんについてはこちらを読んでみてね


凪くんはすごいんですよ。でもなんで私ごときがそんな人に会えるのかっていうと、私がすごい

代償

を支払っているからです。凪くんを4時間借りると、パークハイアット一泊分くらいのお金を払うことになる。でもそのお金がないと、凪くんとは会うこともできない。その代償を支払うことで、私は神対応に接することができる。

たまに考えるんです。もし私がものすごく魅力的な人間だったら、他人から「会いたいです!」と言ってもらえるような人間だったら、無料で他人に会えるのかもしれないと。

でも現実はそうじゃなくて、私は財布からお金を出して人間に会ってもらうしかない。それは別に不思議なことじゃなくて、誰もが考えていることなんです。人間の有限な時間を自分に使って頂く、そのために相手が喜んでいただけるものを捧げられる何かを自分が持っているのか?それはお金かもしれないし、人脈かもしれないし、魅力的な異性かもしれないし、とにかく相手が「自分の時間を使うのに価値がある」と思ってもらえる何でもいい、何かしらの有形無形のもの。

それで私個人で考えてみると、いくら考えてもないんです。私の手のひらの上には何もない。あなたに捧げられるものが、何もない。

まあそういう考えでこれまでずっと、生きてきました。世界がどういう風に動いているのかを自分なりに考えて、たどり着いた結論がそれだった。何かを捧げない限り、他人は私に関わろうとしない。

「自分には価値がない。他人に会いたいと思ってもらえる価値が。」

それが口癖で、とにかく価値をつけようと頑張ろうとしていました。

その一方で、昔の友人で、わたしが「価値」と言うのをものすごく嫌がる人がいました。その人はいつも私に言いました。

「君はいつも価値って言う。でもその価値って何?誰がどうやって決めてるもの?みんな?みんなって誰?その、誰がどうやって決めているのかもわからないものに君はその身を捧げようとしているの?」


「星の王子様」という、サン・テグジュペリが書いた・描いた本があります。ここで引用するのは、1974年のミュージカル版です。ボブ・フォッシーの踊りが後のマイケル・ジャクソンに影響を与えました。

サン・テグジュペリに話を戻すと、彼はもともと絵描きになりたかった。そこで彼が書いたのは、ウワバミに飲まれた象の絵。ウワバミって怖いですね、象を飲み込んでしまうのですから。その象は身動きもできない。ウワバミに消化されるのを待つしかない。じっくりと。

もちろん大人たちは、この絵を見て全員が笑いました。「これって帽子でしょ。なんであなたは帽子を怖がるの?」

「違うよ、これは象なんだ、ウワバミに飲み込まれているんだ、すごく怖いんだよ、象だってウワバミに飲み込まれてしまうんだ」

震えながらそう返す彼のことを大人はまたもや笑い飛ばしました。こどもの言う、根拠のない、笑えることですから。

だから、彼はパイロットになりました。パイロットだったらどの大人も彼を笑いません。帽子と大人ばかりの世界で、彼は生き残るためにパイロットになった。

でも彼は遭難した砂漠で、不思議なこどもに会った。こどもは「絵を描いて、羊の絵を」と言います。少し先では彼の仲間たちが殺されている。そんな状況なのになぜか、彼はその子のために、こどもの時以来描いていなかったあの絵を描いて見せました。

するとそのこどもは、「ウワバミにのまれた象の絵はいらない」というのです。こどもはひと目見て、彼が本当に描きたかったものがわかったのです。絵描きになりたかったのに、パイロットになった彼は悪くなかったのです。受け取る方が、彼の心をわかる気もないし、わかろうともしなかった。だから誰もわからなかった。

そういう、こちらが何も供物を捧げずに、自分がありのままでいるだけで時間を割いてくれる人のことを、

友達

とか

家族(毒じゃないやつ)

と言うのだと思います。

逆に言えば、自分が犠牲を払わなければ関係性を築けないのは「友達」ではない。

神様、わたしはいつか出会えるのでしょうか、わたしが何も代償を払わなくても、「ウワバミの絵はいらない」と言ってくれる友人に。

でも会えなくても大丈夫です。自分の機嫌は自分で取っていきます。それをこれまでの人生で学んできました。自分を助けられるのは、自分しかいません。(前世占いをはじめたしいたけ先生みたいな)占いでも、カウンセリングでも、コーチングでもなく、信じられるのは、自分自身、そこから出てくるものだけです。

以上です。

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