やわらかな心を石に変えて
とキリストは言っていたが、それは2000年前の話であって、この資本主義の弱肉強食の時代に隣人を愛していると自分がやられる。やられるまえにこちらがやらないとおしまいになってしまう。こんな世界に誰がした。
「いい人」でありたいとずっと思ってきた。困っている人がいたら手を差し伸べ自分のちからが及ぶ範囲で手助けをする。それが当たり前のことだと思っていた。
しかし前述の通り、厳しい競争社会においては「いい人」であることは許されない。他人のために時間を使う「いい人」は淘汰されてしまうからだ。生き延びるためには、ひたすら自分の力で、自分の地位を向上させるしかない。自分の利益を第一に考え、そのために絶えず他の人達を圧倒させるために努力し続け、奪い取れるものは奪い取って自分の血肉にしていく。倒れていく人がいても手助けなどしてはいけない。というか「あ、倒れてるな」と見る余裕すらないのでそもそも倒れてる人など見えない。
そんなことするなら死んだほうがマシ、と思っていたが、ブチャラティよ、この3次元ではどうもそういう考えは「綺麗事」らしい。「綺麗事」だけでできている世界ってないのかね。ないんだろうな。尼にでもなるかと思ったがカトリックのシスターは18歳以上30歳以下の独身女性しかなれない(女子パウロ会の場合)ので尼にもなりそこねたし尼の世界もやっぱり世俗と同じで厳しいのだろう。
ますます貧しくなるジャパン、っていうか世界的な不景気、もう弱肉強食の世界はますますその高低差を増していくだろう。そこで生き延びるために必要なのは
サイコパスになること
しかないと思った。
なりたいなーサイコパス。ナチュラルに「吐き気をもよおす『邪悪』」になりたい。自分のために平気で他人を踏み潰して踏み台のように使い倒して自分だけのし上がり、筋トレしながらヘラヘラ笑えたらいい。サイコパスになったら多分痛みなど感じないようになるのだろう。今感じている痛みこそが自分の弱さの原因になっているので、痛みなんか感じないくらいにならないとだめだ。もっと強くならなきゃだめだ。やられる前にやらないとだめなんだ。
それで「サイコパスのなり方」みたいな本があったら買いたいと思ってアマゾンを探したけどなかった。無念。ウルフ・オブ・ウォールストリートでも見て勉強するか。
ってずっと書いてきたけどいかにも自分は善人で被害者ですよみたいな書きっぷりで気持ち悪くなってきた。俺はサイコパスなので悪人の加害者です。久々に日記書いたけどダメだな。筋力が落ちている。ギネスビールも水で倍に薄めたみたいな味に変わっちゃうし本当ダメだわ。
何か自分の信条に反するようなことをする時に、いつもこの言葉が頭をよぎる。やわらかな心を石に変える、そんな感じで強い生物になりたい。今の自分は弱っちすぎる。心と身体と頭の筋トレをしていきます。
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