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ピクサーでもディズニーでもない、イルミネーション・エンターテインメントという生き様

映画「ペット」が世界中で凄まじい興行収入を上げている。世界で8億ドル以上を稼ぎ、今年6番目にヒットした映画になった。スペインでは今年最もヒットした映画になり、ロシアでは「アバター」「ズートピア」に続いて歴史上3番目に興行収入を上げた映画になった。日本でも興行収入40億円を突破している。全米アニメーションでは『インサイド・ヘッド』(3億5646万ドル)を超えて今年の8位になった。

だが「ペット」が”偉大”な映画かというとそうではないようだ。

映画を見た感想で日本国内外問わず多く聞かれるのが「話がトイ・ストーリーじゃん」というものだ。たしかに「ご主人さまと仲良く暮らしているところに新入りがやってきて生活が脅かされ、不本意にもそいつと冒険することに」という前半のあらすじは確かに共通していると思うが、そんな20年前の映画の話出されてもという感じであり、そんなことを言わなくても、真面目に向き合うのもバカバカしいくらい話が穴だらけである。なので国内外の評論家の評価も低い。

映画内ではいくつか伏線が撒かれるのだが、それが全く一つも回収されず、うっちゃられていく。マジで一つも回収されず、テキトーに道端に捨てられていくのである。こんなにテキトーな映画を初めて見た。

それでも「ペット」はただひたすら面白い。1時間半笑っているうちに映画が終わる。人間が考えうる限りのバカバカしいことがここには詰め込まれていて、ほんとうにクリエイティブだ。人間がお家にいないあいだ、ダックスフントがミキサーでマッサージしているなんて!

ピクサーやディズニーの映画は確かにすごい。だがあまりにも出来が良くて、社会情勢などもガッツリ入れてきてしまうので、見ている間じゅう号泣して自分の人生を懺悔し社会のあり方を問うみたいなヘビーな体験になってしまう。

そしてイルミネーションは潔く、映画に社会情勢もジェンダーも人間としての自立も、とにかく「教訓」というものを何も入れないことを選んだ。今どき「ペンギンズ FROM マダガスカル ザ・ムービー」(傑作)にだって深淵なテーマをぶち込んで来るというのに、イルミネーションはただたまらなく魅力的な、個性的なカワイイ動物を生み出し、彼らが意味もなく右往左往するだけで1時間半描ききった。その勇気!

そう、ピクサーはギャグに弱い。発達障害が自信を持って生きていくことや家族の絆について描いた『ファインディング・ドリー』においても、ギャグに関しては精彩を欠いた。多分みんないい子なので、ギャグに際しての力の入れ加減がわからないのかもしれない。うすのろのアシカのギャグは単にいじめだし、クライマックスのカーチェイスは「ハチャメチャ」を履き替えてしまい、単に荒唐無稽で暴力的ですらあった。

いっぽうこの「ペット」も「ドリー」と同じく動物が荒唐無稽な冒険を繰り広げる映画だが、「ペット」のほうは”なにを破綻させてもよくて、なにが破綻したら笑えなくなるのか”というコメディの線引を良くわかっている。例えば動物によるカーチェイスのシーンでは、「ドリー」はその線引きを見誤り、度を過ぎた演出をほどこした結果、後味の悪さを残すことになってしまった。だがイルミネーションはどうしたか?

まず、動物が乗り物を乗っ取る云々のやりとりをあっさりと省いた。そして突然場面がブルックリン・ブリッジに移ってカーチェイスが始まった途端、大音量でビースティ・ボーイズの「No Sleep Till Brooklyn」をぶっかましたのである。

このアイデアはめちゃくちゃ素晴らしかった。もうどうやっても笑うしかない。たしかに「ペット」のストーリーはテキトーだがギャグに関しては意外にデリケートで、誰かがつらい目に合っているときには悪役も悲しそうな表情を浮かべるし、めちゃくちゃは言うけどいじめのようなギャグはない。

そうしたきめ細やかさというのはキャラクターの設定にも緻密に活かされている。昔、映画「ボルト」が出たときも「カワイさの臨界点を突破してるな、、」と思ったのですが、ペットはそれどころじゃない。

映画『ファインディング・ドリー』の同時上映の『ひな鳥の冒険』があったじゃないですか、あれほどのかわいさがたくさんのキャラクターに適応され、しかも全員はじけるような個性があるって感じですかね、、

そもそもイルミネーションは最も後発なアメリカのCGアニメーションスタジオ。ディズニーもピクサーもドリームワークスもソニーもいる、超レッドオーシャンな3DCGに乗り込んだ彼らは、アメリカだけでは人材が足りないので、フランス・パリのアニメプロダクション「Mac Guff」を買収。以来パリで「Illumination Mac guff」としてアニメーションの制作が行われている。そのスタッフはアメリカ人やフランス人だけじゃない、ものすごい「多国籍軍」。

だからこそ彼らは言語や文化の壁を超えた「カワイイ」を生み出せるのかもしれない。「ミニオンズ」にだって教訓などひとつもなかった。そこにあったのはただ「カワイイ」だけだった。ミニオンズはカワイイ。仕草がめちゃくちゃカワイイ。プロデューサーのクリス・メレダンドリはインタビューでミニオンというキャラクターについてこう語っている

「最初のラフスケッチをみたときは、ミニオンがどのようなキャラクターになるのかわかりませんでした。そこで、監督のピエール・コフィンとクリス・ルノーは、ウォーク・サイクル(キャラクターが歩いているアニメーション・パターン)をつくることにしたのです。ふたりのミニオンがただ歩いているだけのパターンでしたが、その魅力は一瞬でみて取れました。
その後、オーバーオールや色、一体ずつ違う体の形といった要素がキャラクターに加えられていきました。でもその本質は、いちばん最初のウォーク・サイクルにあったのです。何度再生しても、みていてまったく飽きませんでしたね。」

何度再生しても、見ていてまったく飽きない。なるほどイルミネーションの作る映画はそういうことだ。ミニオンは、右手をちょっと動かすだけでもすさまじくカワイイ。しかし「ペット」は黄色いツルッとした生物ではなく、モフモフの動物で「カワイイ」を1時間半やりきっている。メレダンドリの言葉をいまいちど引用しよう

「イルミネーションが掲げる主要なミッションは“キャラクターを中心とした、観客に笑顔をもたらすストーリー作り”なんだ」

イルミネーションは、キャラクターの魅力のためならあらゆること(動物の生態など)を犠牲にする。だからこそ魅力的なキャラクターを作ることができる。かつてここまで表情豊かだった3DCGキャラクターがいただろうか?!ひとつのキャラクターに千の表情があるようで、これほどバリエーション豊かな表情を作るのにいったいどれだけのパターンが必要なのかと思う。人間の表情を完璧にコピーするモーションキャプチャがあったとしても絶対に作れない、アニメならではの百面相だ。アニメーションにしか出来ない、絵の快楽というものがここにある。そしてなにより、「ペット」のCGには重力がある。鳥の視点になって見下ろすマンハッタンや、犬がダンボールにより掛かるとき、そのお腹がポコンと揺れるわずかな動き。そうしたきめ細やかな映像のディテールにより、違和感なく、より気持ちよく映画の世界にハマっていける。

その真骨頂が、話の筋からしたら全く意味がないソーセージ工場のシーンである。ソーセージのお尻までも踊らせているのが見えたとき、「こんな意味のないことにどうしてこんなに精緻なディテールを込められるのだろうか」と感嘆する。緻密なディテールで繰り広げられる、死ぬほどバカバカしい構図。「完全になにかを食っていなければ見えないサイケデリックな世界」という、かつての「ダンボ」や「アリス」でディズニー映画が描いたアニメーションの快楽を蘇らせたのこそがイルミネーションなのではないか。

ということで綿密すぎる映像設計の結果、カワイさが臨界点を突破。1時間半にわたり、眼球にそのモフモフが映るだけで眼福という体験になった。ちなみにこのうさぎのスノーボールちゃんは、「スノーボール」という言葉自体がドラッグを想起させるということで、劇中まさに「ヤクやってるヤバいやつ」のステレオタイプみたいな行動をするので、多分これで笑っているのは子供じゃなくて大人だけである。実際姪を連れて行ったら面白いけど怖かったと言っていた。でもスノーボールちゃんは悪人だけどものすごく情に厚く、とことん仲間を大事にするという人情家なので憎めないというのがまたこの映画の後味の良さに繋がっている。

それらの「笑ってもらえるよう気遣いのあるギャグ」「魅力的に見せることだけを考えたキャラクター」「高度な技術による絵の快楽」をより強固にするのが音楽!!アメリカのスタジオはドリームワークスといいブルースカイといいCGと音楽を合わせるのが非常にお上手だが、次作は「SING」というミュージカルを作るイルミネーションは一枚上手だった。冒頭のテイラー・スウィフトに始まり「ステイン・アライヴ」、そしてアンドリューWKでヘッドバンギングする犬やビースティ・ボーイズまで..!!!いずれの曲もヒット曲のインパクト頼みではなく、映画に合うようにものすごく注意深くカットアップされ、ミックスされている。「No Sleep Till Brooklyn」がこんなにカッコよく蘇るなんてこと、あなたは考えたことがありますか!!いやない!

この映画の元ネタはトイ・ストーリーではなくてただひたすらに主人公に災難が降りかかる映画「大災難P.T.A.」であり、ただひたすらにドタバタ劇が続くコメディのジャンル「ファース」に属するものだと言われている。「キャラクター」と「ギャグ」に重きを置き、キャラクターが魅力的に見えて、バカバカしい仕掛けがあって、映画が進んでいけばそれでいい。劇場版パンフレットではくれい響きさんがウォルター・ヒル監督の名作ギャング映画「ウォリアーズ」が元ネタだとおっしゃっていた。

と、ここまで「カワイイのために全てを犠牲にした映画」というていでお話をしてきたが、実はそうじゃない。それはラスト、ビル・ウィザーズの「Lovely Day」がかかるシーンを見れば全てがわかるだろう。人間も動物も、お互いの愛を確かめあって都会の一日が終わる。この窓でも、隣の窓でも。いろいろな生活があって、でもみんな楽しく暮らしている。そういう視点を見せてくれることで、見た人がそれぞれのペットを慈しむことができる。そんな素敵な映画でした。頼むから見てくれ!!お願いだ!!


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