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映画『ローガン』

映画『ローガン』を見た。わたしが見たかったのは「イケメンでムキムキでカッコイイ不死身のヒーロー・ウルヴァリン」だった。オーストラリアの伊達男、ヒュー・ジャックマン演じるウルヴァリンはいつだってそうだったからだ。

これ↑

しかしこの映画のウルヴァリンことローガンは、不死身の身体を失い、リムジンの運転手をして食いつなぐ、老いさらばえたおじいさんだった。

かつてのミュータントたちが世界を救う時代は終わった。何らかの大事故でほぼ死に絶え、もはや新しく生まれてくることもない。おまけにプロフェッサーXはアルツハイマーにかかってボケている。

彼らのすみかはメキシコの砂漠の、貧しい給水塔。リムジンでつまらない客を乗せて日銭を稼ぎ、プロフェッサーXの薬を病院関係者から横流ししてもらうウルヴァリン。完全な酒浸りのアル中で、チンピラに絡まれてボコボコにされたりしている。かつて「恵まれし子らの学園」で、あんなに豊かな生活を送っていたのに...いまや彼らはただ死を待つだけである。か、悲しい...。

そこに現れた一人の娘。彼女はウルヴァリンの遺伝子を継ぐ娘だという。ミュータントである彼女を狙う組織から守り、国境まで彼女を送り届けることになったウルヴァリンとプロフェッサーXだが...

ということで、体裁は、老人と子どもとおじさんが車でアメリカを縦断するロードムービーだ。

ミュータントに未来はない。この映画のトーンは陰鬱だ。年端もいかない女の子が大男に飛びかかり、長い爪で顎から頭を串刺しにして血が吹き出まくる。陰惨な暴力、乾いた砂漠、希望のない世界。見るものすべてが、輝かしかった過去を思い出させて、悲しくなる。

3人がホテルで見た映画「シェーン」では「人を殺すと、例えそれが正しいことのためであっても、人殺しだと言われる」というセリフが出て来る。彼らもそうだった。ずっと正しいことのために人を殺してきた。そしてその分苦しんできた。


しかしそんな絶望的な道のりのなかでも、希望が見える瞬間がある。偶然会った人が家族のように歓待して、「疑似家族」を演じる羽目になったプロフェッサーX・ローガン・娘のラウラの3人は、その演技を通じて本当の家族の絆を手にいれたような体験をする。「いままで誰かを愛するたびに必ず失ってきた」と言い、心を閉ざすローガンにとって天恵のような瞬間だった。それが200年生きた男が、人生を終わらせたいと願ったギリギリの縁で得たものだった。

監督はあの超絶大傑作『3時10分、決断のとき』のジェームズ・マンゴールドだけに、Xメンなんだけど完全に西部劇。とにかく暗くて絶望的で、見てるあいだじゅう「つらい..」と思っていたのだけど、見た次の日も、その次の日も、また次の日も、映画に出てきた風景がフラッシュバックしてくる。見た直後の心持ちは『美女と野獣』のほうが、すごく気分が良かったのだけど、なぜか繰り返し思い出すのは『ローガン』のほうである。カラッカラで果てしなくアメリカの大地とそこにいる3人が、ふとした瞬間に蘇る。心の隙間に入り込んでくる、そんな染み渡る映画でした。


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