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レシピガン無視派

ある人が”レシピ通りにしか作れない人”と”レシピ通りに作れない人”がいると言っていた。レシピ通りに作れない人を「レシピガン無視派」と呼んでみる。そして私はつくづくレシピガン無視派だなーと思う。

レシピガン無視派…それってそもそもレシピ要らなくない?って感じだけど、そういうわけでもなく。なんとなく「あの料理が作りたい!」っていうのがあって、例えばエビチリとか豚の角煮とかスリランカカレーとか…。それで作ったことのない料理は、作り方が全くわからないので、レシピをネットで検索していくつか見て、美味しそうな写真のものとか、材料が家にあるものでできそうなレシピをピックアップ。
ざっくり目を通して、ポイントポイントは真似をするけども、特に調味料の割合なんかはかなり少なめにしたり、大概何かをなにかに置き換える。要するにかなり感覚的に調理をしてしまうタイプということ。

自分が夜ご飯の準備をできないとき用に、餃子を作り置きして冷凍しておいているんだけど、夫によく「羽の作り方」を聞かれる。「水はどれくらい?」「片栗粉はどれくらい?」「いつ入れるの?」すべて適当だから答えられない。とてもおいしい料理ができたときに、感覚調理だと再現できないという難点もある。確かに、こまめにレシピに残せたら1冊くらい本がつくれるかも。

様々な料理教室に参加してきたが、よく耳にする言葉。「レシピにはこう書いてありますが、味を見ながら適当に〜」きっと多くの女性は感覚で調理している。女性の特性なのか、長い経験のうちに感覚として染み込んだのか。

料理に関してはいちいち「なぜ?」とは思わないが、今、ひたすら「なぜ?」と不思議に思っていること。
フルーツ酵素シロップのレシピはどうしていつも
果物:白砂糖=1:1.1
なのか。
4−5年前くらいからフルーツ酵素シロップを作っていて、最初は(結構最近まで)その決まり文句を律儀に守って白砂糖をドバドバ使っていた。
でも考えてみるとフルーツによって水分量も糖分量も全然違うだろうに、なぜ1.1倍の白砂糖と決まっているのか。どのレシピも本も「初心者は失敗しないように量をきっちり守って」「ミネラル分が少ないほうが発酵しやすいから必ず白砂糖」などと理由っぽく書いているけど、全然理由になっていない。発酵について興味を持っていろいろと調べると、確かに酵母の餌はショ糖であって、白砂糖はダイレクトに餌になりそうだ。しかし、こんな糖分濃度では酵母は生きられなそう。じゃあ何発酵しているのか?そういったことを書いているレシピが全然ない。そして「手の常在菌の力を借りて…」と必ず書いてある。ますます何発酵かわからない。「白砂糖の害は発酵によって消えてなくなる」とか全然信用ならない。明らかに砂糖の塊。

とは言え、とりあえず美味しいから我が家では常に酵素シロップを作っているのだけど、私の場合「常在菌の力」を借りていないからか全然発酵しない。そもそも糖度が高すぎて発酵が期待できないはず。そこで近ごろは、パン酵母を作るように「果物+水+少しの砂糖」で発酵させた酵母液を「果物:砂糖=1:1.1」のものに添加してみたりもした。そうすると発酵してくれる。発行すると驚くほど味が変わる。本当に美味しいくなるから不思議。

でもそろそろ白砂糖1.1の呪縛から開放されてもいいのではないか。果物をミキサーにかけて発酵させてみるとか、砂糖の分量を変えてみるとか、もう科学実験のレベル。手始めにりんご:白砂糖=1:0.5でやってみた。最初は浸透圧からかりんごの水分がかなり出て、液体たっぷりになった。りんごの香りが華やか。だけど白砂糖の尖った甘さがまだのこる。なかなか発酵しない模様だったので、上記のごとく酵母液を添加。するとシュワシュワと微発泡が始まり、果実はまた水分を含んだのかぷっくりしている。少し飲むと尖った甘さがなくなり、りんごのフルーティな美味しい飲み物。このまま発酵によって糖を代謝させて甘さ控えめなものにしたいな。そうするとシードルになってしまうのかな。発酵は奥が深い…


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