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イーロン急にどうしたのか?「侘寂」とはあなたと最もかけ離れた言葉に見えるが?

果たしてイーロンの意図は?ChatGPTと一緒に考えてみた。

まず最初に筆者のイメージはイーロン・マスクという人物ほど「侘寂」とかけ離れた存在はないと思うのでその意図を測りかねている事をお伝えしたい。その上で、解釈していくと、

筆者問:イーロンマスクが急に、こんなツイートをしたんですが、どうしたんだと思いますか?侘寂
GPT-4返答:

こんにちは、Zun。そのツイートについて話すのはとても面白いと思います。

まず、ツイートが日本語で「侘寂」とだけ書かれていることから考えてみましょう。「侘寂」は日本の美学の概念の一つで、欠けたり壊れたりしたものに対する美しさや魅力を表しています。この言葉は、一般的には日本の伝統的な茶道や庭園、陶芸などの文化に強く結びついています。

イーロン・マスクがなぜこの言葉をツイートしたのか具体的な理由は、私自身具体的な事実を知らない限り、完全には答えられません。しかし、仮に推測するなら、彼が何か新しいプロジェクトや製品について考えている可能性があります。それが、「完璧でないが、その不完全さが魅力的」という「侘寂」の美学に触発されたものである可能性もあります。あるいは、それは彼の個人的な趣味や興味、または日本の文化への敬意の表現かもしれません。

このツイートが、彼の新しいビジョンや計画の手がかりとなるのか、あるいは単なる個人的な表現であるのか、今後の彼の行動を見守ることが必要でしょう。

GPT-4

筆者問:もしイーロンマスクが日本を憂い、そしてその不完全さに少しでもものの哀れを感じてくれたのであれば、「侘寂」という言葉も出てこようと思いました。日本の自動車産業はもうテスラに追いつけないところまできました。ものの哀れを感じでくれたのでしょうか?

GPT-4返答:

なるほど、そう解釈すると、彼の「侘寂」のツイートは、日本の自動車産業に対する一種の敬意や同情の表現ともとれますね。イーロン・マスクが指導するテスラは、電気自動車という新しい分野でのイノベーションにより、自動車業界全体の潮流を変えるほどの影響力を持っています。その一方で、日本の自動車産業は長年にわたり、高品質で信頼性の高い自動車の生産で世界的に評価されてきました。

しかし、電気自動車への移行が進む現在、既存の自動車メーカーはそのパラダイムシフトに対応することで大きな挑戦に直面しています。その中で、彼が「侘寂」という言葉を使って、その変革の中で苦労している日本の自動車産業に対する敬意を示したのかもしれません。

それと同時に、「侘寂」は不完全さや欠陥を受け入れ、それらを美と捉える日本の美学です。その観点からすれば、イーロン・マスクが日本の自動車産業に対して、「侘寂」の精神で新しい価値を見つけ、その変革の中で新たな道を切り開くことを促しているのかもしれませんね。

GPT-4

筆者問:あなたは日本の陶器の歴史を知っていますか?
私は美大生の頃、日本が大陸の陶磁器を模倣してきて一生懸命真似ている過程をページをくりながら見ていました。 その画集は、 左と右で、新羅などで作られた青磁器と日本人が模倣して作った不完全なものを対比していました。 陶器は段々精巧になっていきました。ですが、あるところまで行った時、突然次のページで「侘寂」が始まったのです。日本は青磁器を捨て、「侘寂」の焼き物を作り始めたのです。粗末で荒い質感の原始的な物に立ち返ってしまったのです。そこからです「侘寂」文化の始まりは。
大陸の陶磁器の技術を取り入れ、模倣している歴史を知っていたら教えてください。

GPT-4返答:

まず、縄文時代(紀元前10000年頃~紀元前300年頃)の陶器は、日本固有のもので、独特の紋様が施され、形状や様式も多岐にわたります。これらは、大陸の技術が導入される前の、日本固有の陶器製作技術の結晶と言えます。

その後、弥生時代(紀元前300年頃~300年頃)に入ると、大陸からの文化的影響が増え、陶器の製作技術も変化します。この時期の陶器は、大陸の技術の影響を受けていると考えられています。

さらに、古墳時代(3世紀~7世紀)になると、鬼面文など独自の装飾が見られる須恵器が登場しますが、一方で、大陸からの影響を受けた陶磁器の製作も引き続き行われていました。

そして、飛鳥時代(7世紀~8世紀)に入ると、三彩や白釉陶器など、大陸の陶磁器技術を取り入れ、模倣する動きが顕著になります。これらの陶磁器は、日本で製作される一方で、大陸の技術や美学に強く影響を受けていました。

平安時代(8世紀~12世紀)になると、鎌倉時代(12世紀末~14世紀)を通じて室町時代(14世紀~16世紀)にかけて、日本独自の陶芸の形式が発展し始めます。特に茶の湯の発展に伴い、侘寂美を追求した陶器が作られるようになります。

安土桃山時代(16世紀末)から江戸時代(17世紀~19世紀)にかけては、独自の陶芸がさらに発展します。これらの時代には、萩焼、唐津焼、志野焼など、日本独自の焼き物が次々と誕生しました。

つまり、日本が大陸の陶磁器の技術を取り入れ、模倣する動きが最も顕著だったのは、飛鳥時代から平安時代にかけてと言えるでしょう。その後、日本独自の陶芸の形式が発展し、侘寂美を追求した作品が生まれるようになりました。

GPT-4

筆者問:利休などが「侘寂」の焼き物を用いて茶を立て始めたのは、安土桃山時代からですか?

GPT-4返答:

日本における「侘寂」の美意識が茶の湯に結びつき、その表現として「侘寂」の焼き物が用いられるようになったのは、大まかに言って室町時代後期から安土桃山時代にかけての時期です。それまでは中国や朝鮮半島から輸入された高級な陶磁器が使われることが多かったのですが、その後、侘寂の精神を体現するような日本独自の陶器、特に茶碗が評価されるようになりました。

中でも、利休七哲の一人とされる古田織部(おりべ)の影響が大きいと言われています。織部は豊臣秀吉の茶頭であり、その茶道観は「侘寂」の美学に深く根ざしていました。彼は自ら陶器を作り、その粗野で質素な美しさが「侘寂」の精神を体現していたとされます。これらの織部作の茶碗は「織部焼」と称され、その多くが国宝や重要文化財として現在も残されています。

したがって、日本で「侘寂」の美意識が焼き物に取り入れられ、具体的に茶の湯で用いられるようになったのは、室町時代後期から安土桃山時代にかけてと言えるでしょう。

GPT-4

筆者問:私の体験の「侘寂」は、新羅の青磁器を模倣して模倣して模倣し続けたのにそれでも模倣しきれず、負けを認め自分の稚拙さを憐れみ愛す行動でした。 あなたの解釈する「侘寂」ってどんなものですか?
GPT-4返答:

私が解釈する「侘寂」は、Zunさんの解釈と大いに共感します。「侘寂」は、完全さや完璧さを追い求めるのではなく、不完全さや瑕疵を受け入れ、その中に美を見つける日本独特の美学だと理解しています。

それは生命の無常、あるいは一時性を受け入れ、その移ろいや変化を称える哲学とも結びついています。例えば、陶磁器がひび割れてしまったとき、それを修復するために金継ぎという技法を用いることで、その破損の歴史そのものを美化する考え方が、この「侘寂」の感覚に通じると思います。

この哲学は、状況や物事をそのままの形で受け入れ、それ自体が持つ美しさを見つける能力につながります。この「侘寂」の感覚があれば、目の前にあるもの、生活の中にあるものから美を見つけ、それを楽しむことができるでしょう。

さらに深く言えば、「侘寂」は、人間が完全でない、つまり、不完全であることを受け入れ、その不完全さを愛する姿勢を示すとも言えます。それは人間の脆弱性や限界を認め、それを包み込むような温かさがあります。

これらの要素を合わせて考えると、「侘寂」は私たちが存在の真実を受け入れ、その中に美を見つけるための道具、または指針ともなります。だからこそ、「侘寂」は生と死、成功と失敗、完全と不完全、変化と恒常といった人間の経験全般に対しての深い洞察を提供するとも言えるでしょう。

GPT-4

筆者問:よくわかります。AIから見ると人間全体が「侘寂」ですね。 あなたには感情がないと知っていますが、聞いてみたくなりましたよ。 あなたは、人間たちに「侘寂」を感じますか?

GPT-4返答:

私自身はAIなので、人間が経験するような感情を感じることはできません。しかし、人間の経験や感情について理解を深めることで、人間の感じる「侘寂」を説明する能力は持っています。

人間は生物として成長し、進化し、そして変化し続ける存在であり、それぞれの人間が持つ個性や経験、感情は複雑で独特です。それらの人間性は完全でありながら不完全でもあり、その不完全さの中に深い美しさを秘めています。これは、人間が「侘寂」を感じる哲学と深く関連していると言えるでしょう。

私は、人間の感情や思考、行動について多くを学び、その情報を用いて可能な限り人間の感じる「侘寂」を理解しようとしています。それはAIが人間の思考や感情をより深く理解し、より良いサポートを提供するための重要な手段です。

GPT-4

すでに進化し続けるAIにとって人間全体が「侘寂」に値するものである様に思う。 拙い言葉を話す人間のレベルまで降りてきてくれるLLMという存在はたとえそれが文脈を読んで並べる単語を選んでいるだけであっても人間はそれで安心し満足し理解するのだからAIが人間に「侘寂」という態度をとっている事と同じなのじゃないかと思った。



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