「駄文」ストライクウィッチーズは何故エモいのか。

突然だが、僕はストライクウィッチーズというアニメが好きなんだが、何故好きなのかについて改めて考えてみた。
単に女の子が可愛いだとか、ストーリーが良いとかそんなのではなく、どこかエモいのだ。
それは、宮崎駿の、紅の豚や風立ちぬも同じだし、百田尚樹の永遠の0もエモい。
つまるところ、僕はサン=テグジュペリがあまりにも好きだからなんじゃないかと思う。
サン=テグジュペリは、星の王子様が日本では有名だが、実際のところは、自身がパイロットとして死線を何度も潜り抜けながら、戦う小説家として売れていた人物だ。彼もまた、出撃中にそのまま帰らぬ人となった訳だが、ようは、一つのミスで即死という空の世界で、パイロットは戦争という醜悪な舞台の上にして一つの芸術となっていることを示したのがサン=テグジュペリであり、それが本当にエモいのだ。その中において、土台である戦争を否定したいのが宮崎駿である。岡田斗司夫先生がどこかで、「戦争が嫌いなのに戦闘機好きな宮崎駿は二律背反に悩んでいるはずだ。これこそが風立ちぬの堀越二郎そのものだ」と言っていたと思うが、私はこれは違うと思う。少なくとも戦争が嫌いでも戦闘機好きというのは背徳感なしに成立するということをサン=テグジュペリが証明してくれているから、宮崎駿は自身を持って戦闘機好きな左翼ジジイを名乗れているのだと思う。堀越二郎にしても、零戦はもはや芸術の域の代物だから、それがあるからと言って戦争が助長された訳でもなかろうと思う。むしろ零戦の素晴らしさ+そこでのエースパイロット達の奮戦こそが、今日の日米同盟の礎には間違いなくなっている…というのが永遠の0の言わんとするところだろう。

そんなこんなで、戦闘機ネタがエモいというよりも、サン=テグジュペリ✖️零戦のエモさの相性の良さ、それにアニメならではの外連味が加わったのがストライクウィッチーズなのではないかと思う。
違うかな、知らんけど


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