wi(l)d-screen baroque、或いは舞台少女たちの本能
こんにちは、秋星です。
皆さんは劇場版 少女☆歌劇レヴュースタァライトをご観劇されましたか?
以下ネタバレになるのでご観劇後にご覧ください。
ただの書き散らしですが……。
ところで皆さんはワイルドスクリーン・バロックの意味が分かりましたか?
僕はさっぱりです。
でも分からないなりに考えたことを書いていきますね。
そもそもワイドスクリーン・バロックって何?
正直まずここから足りない頭では理解出来なかったです。
Wikipediaでは以下のように記されています。
時間と空間を手玉に取り、気の狂ったスズメバチのようにブンブン飛びまわる。機知に富み、深遠であると同時に軽薄
— ブライアン・W・オールディス、『十億年の宴』p.305より 浅倉久志訳
?
言わんとしていることはほんのり分かるような気がするけどやっぱり分からない。
まあそこから他の方の解説やらを読んだ僕なりの解釈としては
過去・現在・未来、そして場所が目まぐるしく変化し、大仰とも言える演出と台詞による圧倒的な情報量で叩き付けているが、その実単純なものである
といった感じでしょうか。
よく分かりません。
それっぽく書こうとして分かりにくいですね。
でもまあそんな感じということで進めていきます。
対戦よろしくお願いします。
劇場版スタァライトとワイドスクリーン・バロック
時間軸は確かに華恋の過去、現在卒業に向かう99期生、果てにはスタッフロールでは未来の99期生が描かれています。
それぞれのレヴューシーンや皆殺しのレヴューとそれ以降における現実世界へのキリンの浸食は確かに大きく変化し続けているとも言えます。
ここら辺結構乱暴というか、アニメでは当然の表現の範疇かもしれませんね。
ですがパンフでの監督曰く、削った部分がかなりあるらしいので、そういう意味では場面・時間が飛び飛びになっていると言えるんですかね?
結論ありきっぽいですね、不安になります。
ひとまず進めます。
そして舞台という題材だからこそともいえる台詞回し、そして劇場に大きく鳴り響く音楽、息つく暇もなくまくし立てられる情報量。
僕はこれを書いている時点で4回観ていますが、それでも足りないくらいに情報量が多いです。あらゆる場所に情報がちりばめられていて、きっとその全てに意味があるのでしょう。
ですが今回の劇場版スタァライトは乱暴に言ってしまえば99期生が卒業し次の舞台へ行くというお話です。
なんかこじつけ臭いですが、そういう意味ではワイドスクリーン・バロックと言っても良いかもしれません。
駄目かもしれません。
でも駄目だと言ってしまうとここで終了するので一旦そういうこととして進めさせてください。よろしくお願いします。
ワイルド(wild)に込められた意味とは
ワイルド(wild)とはご存知の通り野生、野蛮とかそんな感じの意味ですね。
それ以外にも、未開拓とか、ひどく興奮して、夢中になって、そんな意味があるようです。
では舞台少女にとってのワイルドとは?
舞台少女は舞台に立つ。誰も知らない舞台へ、自分自身も、何よりも観客を夢中にさせる舞台へ、これは本能ともいえるはずです。
ですが前半の99期生の多くは舞台に立つ覚悟ができていないようでした。
新国立の見学、皆殺しのレヴューの前とか特にそうでしたね。
レヴュー曲「wi(l)d-screen baroque」でも「そこに野生はあるのか」と問われています。
次の舞台を目指さないあなた達に野生はあるのか。
失いかけていた野生(wild)を取り戻す、だからlだけが括弧で囲われていて、しかしこのレヴューを終えた頃には野生は取り戻せているはずだから、ワイルドスクリーン・バロックとカタカナで明記されている、そういうことでしょうか。
他を喰らい、斬り伏せ、主役に立たんとする傲慢・我侭、欲張りな舞台少女。それはまさに野生とも言えるのではないでしょうか。
ちなみにですが、バロック(baroque)の語源は真珠や宝石の歪な形を指す「barroco」というポルトガル語から来ているらしいです。
バロックという語は、真珠や宝石のいびつな形を指すポルトガル語のbarrocoから来ているとする説が有力である(ただし名詞barrocoはもともとはいびつな丸い大岩や、穴や、窪地などを指していた[1]。いずれにせよ、この語にはいびつさの概念が含まれていたと思われる)。
スクリーンに映し出される、誰にも触れられない、手を付けられていない野生の歪な宝石。
なんだか私たちの見ている舞台少女のようです。
結局の所ワイドスクリーン・バロックって
一言じゃ説明できないし一言でなくとも説明できそうにないです。
でも今これを書いている僕はぼんやりとそんなことを考えました。
スタァライト、何も分からないです。でも分からないことがこんなに楽しいのは初めてです。
こうして考察することもまた「舞台創造科」なのかもしれません。
「私たちはもう、舞台の上」
私たち舞台創造科もまた、舞台の上に立っている、ということでしょうか。
パンフレットで監督が仰っていたように、今や私たち舞台創造科の人生のあらゆる場所に「舞台装置」がちりばめられていて、それを見る度にスタァライトのことが思い起こされます。
素敵なことですね。
長々と書いてしまいましたが、今はこんなところです。
普段こんなこと書かないので教養の無さが露呈しているようですがここまで読んで頂きありがとうございます。
そしてありがとうスタァライト。
この作品が好きで良かったと心から思います。
また観に行きます。
それではまた!
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