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大学へ~プロローグ~

2016年4月。
慶應義塾大学経済学部入学。

履歴書に何回か書くだけの大した意味のない肩書きを手に入れた。

学歴なんて関係ねぇんだなと思い知らされる4年間が始まる。

1年生。
学校にわりとちゃんと行って、野球サークルに入って遊ぶ、テンプレートみたいな大学生活。

でも入ってすぐ、気づいちゃったんだ。

大学の授業は、面白くない。
サークルでは、真剣や一生懸命が必ずしも褒められたものではない。

小学生から、勉強が好きで好きで、塾でも中高でも本当に魅力的な先生に恵まれ。
勉強が嫌いになったわけではないのだ。
勉強が好きだったから、許せなかった。
大学の授業のいい加減さ、教授もプレゼンテーションをする気がここまでないのか。
大好きだったはずの勉強をやめた。

かなり早い段階で教育機関としての大学に見切りをつけてしまった。

つまらない勉強を見放した僕はサークルに拠り所を求める。

でも、サークルもサークルであんまり好きになれなくて。

野球の荷物運んだり、エンタメ企画したり、ユニフォームの集金したり。
自分の居場所や存在価値を求めて色んな努力をした。甘えてたのかもなぁ。
今までは、そんな自分を助けてくれようとする人や感謝してくれる人がいて、何より自分と同じくらい頑張ってる人がいてくれた。

でもこのコミュニティには、自分より頑張ってる存在を見つけられなくて。
一人な気がして。

「いつもありがとう!」と口だけは感謝しているような仮面をつけて、そいつらに利用されてるような気がして、僕はサークルをも遠ざけるようになる。

今は、好きだった先輩と同期がごくわずかに回りにいてくれる。それで十分だけど。

さて。勉強を遠ざけ、サークルも遠ざけ。

1年生の10月。
少し寂しい期間を過ごす。

友達は野球サークルで出逢ったアウトロー4人のみ。ほとんど友達のいない大学生活。

そんな中で拾ってくれたのが3年時、副代表を務めることになるAGESTOCKという団体。元々入ってはいたけど10月まで1回しか行ったことなくて。

振り返ると、なんだか居心地が良かった気がするのだ。

死ぬほどケンカして、本当に死のうかと思うほどツラい日々もあって、ふざけて笑ったあの日々が。

何より、全力であることを誰もバカにしないあの空気が好きだった。

少しだけ、高校の思い出を語って終わろう。

高2のときだろうか。小学校の友達に久しぶりに会って、将来の夢を聞かれた。

「東大に行って、世界銀行入りたい。」

今とは違う、当時の本気の夢をすっげぇバカにされたのを覚えてる。

「意識たけぇ~笑笑」

って。ものすごく不愉快で。
ラ・サールではバカにされたことなくて。

きっとそこが、本気でなにかを目指す環境だったから。医者を目指す人が多かったけど、誰かが描く違う夢をバカにする人なんていなくて。

この環境が好きだった。

だからだろうか。Ageを愛せたのは。
不完全で欠陥だらけのAgeの3年間を振り返って思うのが、「やってよかった」ということだけなのだ。

ここにいた人達は、常に何かを頑張っていて、頑張っている誰かを尊敬していて。

ここで出逢った人たちのお陰で、夢を見ていていいんだって思える。

だって、夢を見る表情はあんなにもカッコ良かったんだから。

こいつらみたいになりたいって思えた人にたくさん出逢わせてもらった3年間でした。

小恥ずかしいこともいっぱいあるけど、感謝も込めてたくさん語ろうと思う。

3年間、何を感じていたのかを。

細かいことはまた少しずつ描こう。

では。

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