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時政その頃 Vol.9

ワタクシが小学6年生のときに他界した母方の祖父がノートに小説を書き残していました。それがなぜかワタクシの手元にあり、長い年月が経っていましたがこの度「note」という場を借りて発表することにしました。

祖父は神童と呼ばれるほどの天才で当時飛び級で大学に進学。海外へ留学したこともないのに英語ほかドイツ語などもペラペラだったのを覚えています。百貨店や商社に勤務していましたが物心ついたときには定年を迎えており、癌でこの世を去りました。

山登りと写真撮影が好きで何度か一緒に山登りしましたが、いかんせんワタクシたちはまだ小さかったので本格的な登山はできず物足りなかったことでしょう。

ワタクシが写真を始めたのは祖父の使っているカメラを譲ってもらったことがきっかけなので、その点には本当に感謝しています。いまだにその時のカメラは形見として保管しています。

祖父は小説家になりたかったらしくひっそりと小説を書いていたとのこと。そのうちの一つだけがワタクシの手元に残りました。今回発表する「時政その頃」は時代小説であり、祖父は歴史にも造詣が深かったことを伺わせます。5万文字を超える分量なので2,500文字前後ずつに分けて投稿いたします。

前回のつづき

四.


 頼朝と政子の間に芽生え始めた関係が、北条に帰った時政に知れるのは、時政が自分で気づくまで待ってはいなかった。
 旅の途中で雲の動きが定まらなくなった空は、時政主従が北条に帰り着いた時は、はや梅雨に入ったのか、煙るような雨が静かに降り続いていた。三日のほどは、旅の後始末や、家の子の出入りも繁く、久しぶりにざわめいた北条館もそれが終わると、もの憂いような静けさに閉ざされた。

 こんな日にこそ、これが良いと三郎がそこはかとなく書き留めていた留守中の日誌に、時政が静かに目を通していた時である。そっと父の傍に近づいた三郎が
「父上、是非お耳に入れておかねばならぬことが」
と訴えた。
伊東の娘との恋を無残に打ち砕かれた頼朝は、今度は北条の政子に言い寄ったというのである。
 前には父祐親に刃を突きつけられて危ない目にあっているので、今度は、男の方から女の許へ通うという風習を破って、人づてに文をつけ自分の方に誘い出すことにしたらしい。それが却って二人の間がかなり進むまで周囲には気付かれないことになった。
 文の使いに立ったのは、頼朝の乳人比企尼の娘婿、伊東祐清と同じく乳人筋の一人に当たる安達盛長らしい。盛長は早くから頼朝のもとに出入りし陰の力になっていた男で、こんな使いを頼める程に心の通う者はこの男ぐらいだろうと、時政にも頷けた。
 生暖かい闇の中に若葉の匂いが漂いはじめたある春の宵、裏木戸からそっと出ていく政子の様子に不信を抱いた家婢が三郎に告げたのが、発覚の初めであった。年取った乳母のちかさえ気付かなかったという。宵闇に紛れて政子が足を向ける先が判って、屈託しらずの四郎が一向きにも留めないのに、三郎は狼狽した。相手が悪い。伊東祐親があれほどの手段をつくして関わりを断った頼朝ではないか。災いがこちらに廻ってきたかと驚いた。近いといっても夜中に女の独り歩き。身の上も心配だが、人眼については北条の存立をも危うくする。これはなお恐ろしい。深くなれば昼にも通い出さぬとは限るまい。
 早く揉み消そうと、言葉を盡しての三郎の諌言が幾度となく繰り返されたが、将来のきかぬ気の上に、この道だけは当人を盲にする。父の留守に妹を手にかける訳にも行かぬが、他に手立てもなく、そう遠い先ではないと聞く父の帰りを一日千秋の思いで待ったという。
 
「それで他人はまだ気付いておらぬか」
と聞き終わった時政は念を押した。
「はい。この館でも、まだ知っておる者はごく僅かです」
「よし、判った。任せておけ」
きっぱり言い切った時政は、
「これは、俺は何も知らぬことにしておいてくれ。政子にも、前佐殿にも、そして誰にもじゃ」
と言い添えた。やれやれと思った三郎は、お易いことと言わぬばかりに頷いた。
その夜、当の政子と長男の三郎と、次男の四郎の三人が時政の部屋に呼ばれた。母は既にいなかった。

「政子を山木判官の嫁にやる」
時政は、宣告するように言った。
「嫌です!」
政子はすかさず声を荒げた。
これだ!この気性には三郎も手を焼いたろう、と時政は眉を寄せたがすぐ
「これは北条の館主として決めた。本人は好まぬかもしれぬが、北条の家の事として、この父が取り仕切るのじゃ。と申して、理由もなくそう決めたのではないぞ。政子の年齢のこと、周囲のこと、すべてを考えあわせて、これが最も良いと決めた。改めて理由を話すまでもなく、三人には、そこらの判断はつく筈じゃ」
氏の長者の貫禄である。が、氏の長者の威圧は無くとも、三郎にも四郎にも、これは当然のことと思われ、期せずして素直に聞くものじゃという眼を政子に向けた。
「どうじゃ、異存は無かろう」
と時政が重ねて言うと
「結構でございます」
と三郎はきっぱりと答え、四郎も頷いた。
「政子、お前も承知してくれぬか」
と時政に詰め寄られて、政子も遂に折れたらしく、
「山木へ参れば宜しいのでしょう。参ります」
と言った。
何か捨鉢なその態度も、今日の所はそれも当然だろうと三人には思われた。
「父上、こちらはこれで宜しいが、肝心の山木の館主が承知してくれましょうか」
と、急に気のついたように言い出した三郎を
「それは、よいのじゃ」
と、時政は静かに制し、なお訝る三郎に、四郎はいたずらっぽく眼で笑った。
「ちかを呼べ」
真っ先に坐を立った時政は、大声で娘たちの乳母を呼び立て、ちかが手をつくと性急に
「政子を山木判官殿の嫁にやることにした。祝言はあとにして、明日、山木の館まで当人を連れて行く。そちも一緒に当分行ってほしいのじゃ。何も用意はいらぬ。あとでいくらでも通えばよいから、とりあえず着替えのものなど差し当たっての用意をすぐ整えて欲しい」

 あまりに急な話にちかも戸惑ったが、やがてなるほどと頷くと
「それは、ようござりました。おめでとうござります」
と感激し、
「お帰りになりますと早速、さすが、お見事なお館主様のお手並み、婆もこれで安心でござりますわい」
と自分に言い聞かせるように言った。

つづく…

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