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時政その頃 Vol.7

ワタクシが小学6年生のときに他界した母方の祖父がノートに小説を書き残していました。それがなぜかワタクシの手元にあり、長い年月が経っていましたがこの度「note」という場を借りて発表することにしました。

祖父は神童と呼ばれるほどの天才で当時飛び級で大学に進学。海外へ留学したこともないのに英語ほかドイツ語などもペラペラだったのを覚えています。百貨店や商社に勤務していましたが物心ついたときには定年を迎えており、癌でこの世を去りました。

山登りと写真撮影が好きで何度か一緒に山登りしましたが、いかんせんワタクシたちはまだ小さかったので本格的な登山はできず物足りなかったことでしょう。

ワタクシが写真を始めたのは祖父の使っているカメラを譲ってもらったことがきっかけなので、その点には本当に感謝しています。いまだにその時のカメラは形見として保管しています。

祖父は小説家になりたかったらしくひっそりと小説を書いていたとのこと。そのうちの一つだけがワタクシの手元に残りました。今回発表する「時政その頃」は時代小説であり、祖父は歴史にも造詣が深かったことを伺わせます。5万文字を超える分量なので2,500文字前後ずつに分けて投稿いたします。

前回のつづき


強訴の日から七日目に、院の庁の叡断が下った。今の政治はこの方の実権の下で動いている。
 国司加賀守師高は解官のうえに尾張に配流、目代たる弟の近藤判官師経は下獄、そして神輿を射った重盛の武者六名も斬られると決まった。時政はこれを受け止めて、
「院の帰依を得て、山門は思い上がりが過ぎるようじゃ。それに、清盛も策略が過ぎる。雲の上の地位を高め保つためには策を選ばず、僧兵の力が馬鹿にならぬのを知ってこれに近づき、尤もぶって煽ておるからよ。それにしても、哀れなのは六人の武者じゃ。大勢が矢を放った中から、どうしてこの六人が決められる。山門に立ち向かわねばならぬ破目となって苦しんだ重盛が、そのうえ思いがけなく部下に神輿を射られては適わぬわな。山門との溝がこれ位で埋められるなら安いものと心を鬼にして己の武者を差し出したことであろうが、当人たちは浮かばれまい。僧の手疵の合計が武者六人の命と踏まれたわけか。どだい判らぬ。物の具にもならぬ神輿を陣頭に立ておって、甘ったれ子が親に駄々を捏ねるのと同じじゃ。それで、多少の怪我は忍んでも、まさか大勢が殺されることもあるまいとたかをくくって、結果はちゃんと目的を果たしておる。東国の武者の胸では計算も立たぬことよの」

 四郎は、先夜の父の予言が今度も外れなかったことには、もう驚かなくなっていた。
 彼を驚かせる異変は、その後に起こった。八日後である。
 その夜、戌の刻(午後八時)近く、樋口富小路から出た火が、折柄の巽(東南)の強風に乗って、明け方都の乾(北西)の外れにある北野天満宮の紅梅殿が焼け落ちて漸く下火になるまで、あちこちに飛び火しながら、都を斜めに夜通し燃え続けた。時政らの邸は幸いその風筋を外れていたが、風筋にあるものは何一つ残らず灰になった。

内裏の一部も焼けたし、殿上人の豪奢な邸宅から名のある旧蹟まで、一夜で烏有に帰したものは数えきれず、これこそ先日神輿に狼藉を働いた神罰じゃと、その霊験の速やかなのに戦きながら、都の人たちは家族も捨てて逃げ惑ったという。時政らも、飛び火や、押し込み、物盗りに備えて警備を厳にし、刻々入る家の子の情報に固唾を呑んで一夜を過ごしたものであった。

 その夜中の丑の刻(午前二時頃)内裏にも火が付いたと聞いたとき、
「しまった!」
と膝を打って、時政はみなを驚かせた。
「忘れておったわい、山木の館主のこと。内裏に近いが焼けずにおってくれ。そして、まだいずにも帰らずにおってくれ。もっと早く行っておかねばならなかった」

と言い、それ程の大事でしょうかというように見上る四郎の眼に、
「買わずともよい他人の不興を一つ買ったか。相手があの仁だけに、なお悪いわ。焼けておれば、もう取り返しようがない。無視しおったと思われような」
 と呟き、これほどに父は北条の周囲での自分の在り方に気を配るのかと四郎をぎくりとさせた。そして、空が白んで庭の木々がその底からやっと姿を現すと、時政はもう立ち上がった。
 
「馬を牽いてくれ」
焼け跡だけを見に行くのでないことは、誰の胸にもはっきり判っている。
「朝餉は」との問いにも
「よい!」と答え
「お館主、共を」
と奨めるのにも一度は
「いらぬ!」と断ったが、この日ばかりは必死に奨める家の子に折れて、一人を連れて早々に邸を出た。

 その時政は、午すぎ、かなり酩酊して帰ってきた。山木兼隆の寄寓する近衛河原の伊豆守の邸も焼けずに済み、兼隆に遇えたらしい。
 その夜、時政は四郎を部屋に呼び入れ、ようやく酔もさめた面持ちで、
「山木の館主が俺を招きおった理由は他にあったぞ」
「何ですか、それは」
「政子をくれと申すのだ。彼女は姉妹のうちで、どう生まれ損ないおったかここが好いでな」
と、不満でもなさそうに己の顔を指さし、
「向こうも近々伊豆に帰るそうな。くれることに同意なら、己も政子も年齢は互いに行き過ぎていることゆえ、故郷へ帰ったら早々にも固めたいと申しおって、できることなら俺から三郎にでも一筆したため、そのように取り計らえと遣ると決めたような口ぶりでの」

 四郎はぎくりとした。その姉政子と頼朝との関係は父は知らない。今こそ言わねばならぬ!と心の奥底で自分に命じる衝動を感じながら、なぜか四郎は言いだしかねた。
 
「で、どう答えられました?」
と、思わず問うていた。
「いや、実は手前も近々番が明けるから、そのことなら帰ってからごゆるりとと返事してやったが、館主のお気持ちだけでもこの場で聞かせと追い縋られてのう、四郎。
向こうは逃げるわけもなし、応となら何時でも言えることだから、帰っての上と焦らしてやったわ。寂しい顔をしおったが、内心ではくれると読んでいるようじゃ。
考えてみれば結局、向こうもその気でいてくれるなら、伊豆ではあの仁の上に出る縁は無かろう。都に誰ぞと、雨には思うたこともあるが、政子のあの一際負けず嫌いの意地っ張り、これを思うても格式ばった都の北の方などとても本人が続くまい。
年齢から言っても遅いくらいじゃし、これは願ってもないと心では決めたようなものだが、返事は預かりじゃ」

つづく…

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