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独立1年目(2013年:31歳)

独立したってやることはない

独立1年目は何もコネがなく、情報もありません。

とりあえず、実務補習の先生に連絡して、お話を聞いたり、書籍で勉強してみたり、ブログを書いてみたりしました。

妻が働くということで、主夫も短期間ですがやっていました。4月に大阪協会で実施されるイベント新歓フェスタなんかにも参加してみました。それでも何も変わりません。

変化があった事、きっかけ

変化があったのは5月に実施される総会と、その前の時間で実施されていた診断協会でしていた青年部の例会です。(今は総会が平日なので日付が違いますが、ですけど)

独立して、初めての集まりで、まずは名刺交換をしてみようということで、沢山の方と名刺交換をさせて頂きました。その晩に、名刺交換をさせてもらった人、全員のHPをチェックして、独立したばかりである事、HPを見て見つけた共通点などを入れ込んで、挨拶のメールを送りました。

こちらは時間がたっぷりありますし、それぐらいしかすることがありません。翌日、返信メールを頂いた方へは再度メールをお送りする。何度かメールのやり取りをさせて頂いた方に、次の集まりのことを教えて頂いたりしました。

次の集まりに参加した時に、何度か再度ご挨拶させて頂いた方にお礼をしたところ、色々な方に紹介してもらい、なぜか重鎮ばかりの飲み会に参加していました。

今振り返るとこの辺りが診断士らしいなと思うのですが、当時は全然わかっていません。偉い方だということもわかっていないので、失礼な対応をしていたんじゃないかと思ったりもします。

家に帰ると、とりあえず酔っぱらいながらでも、お礼のメールを送って、寝たのを覚えています。何しろ、明日の仕事はないので、いつまで寝ていてもいいのですから。

初めての仕事は診断士の先輩から

そういった挨拶をする中で、通行量調査やアンケート集計といった簡単な仕事をいただくこともできるようになりました。ずっと時間があるので、すぐに終わらせてお送りするということをやっていました。

また、2013年はリーマンショックの後で、中小企業金融円滑化法が終了し、再生支援が急激に盛んになった時期でした。診断士の世界では多くのベテラン診断士が再生支援のお仕事を受けて、人手が足りない状況でした。

私は再生支援の知識は何にもなかったのですが、時間は沢山あったので、多数のベテラン診断士の方に時間がある事をお伝えして、サブとして、外部環境分析やデータ分析、ヒアリング時のメモ作成などをさせていただきました。

また、初年度から商店街支援も経験することができました。これも再生支援と同様で、ベテラン診断士と一緒に商店街の打ち合わせに参加し、議事録作成、アンケートの集計などをさせて頂きました。

この時に始めた再生支援と商店街支援は今でも私のメインの仕事になっています。

1年目の協会活動

協会活動としては青年部と研究会の二つに参加していました。
青年部というのは大阪にある協会公認のグループで、40歳まで(40以上で診断士になった場合は45歳まで)の診断士が加入できます。若いということが共通点で、2カ月に一回、勉強会をして、飲み会をしています。

研究会では再生研究会という再生支援について勉強している研究会に加入しました。再生支援の知識はなかったですし、単純に直感だけで入りました。結果オーライでした。

それと、ベテラン診断士の方に再生支援を勉強するようにということで、手配をして頂き、認定支援機関向けの勉強会にも参加しました。

結局、1年目は先輩診断士にお世話になりながら、再生支援を3件サブで関与していました。今考えると、完全にラッキーだと思います。

個人として、注意していたことはできる限り飲み会には参加をしていました。また、頂いた仕事を早く終わらせること、同行するヒアリングの前に事前準備を色々とやっていたことぐらいはありますが、特別なことはしていませんでした。

それでも、やっぱり暇でしたね。時間があったので、新婚生活もかなり満喫していました。

1年目の売上高

売上は独立してからの1年間で、254万円と悪くはないのですが、経費も掛かっているので、全く食える状態ではありません。ただ、年の後半にはやっていけるという自信はかなり強まっていました。

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