黒と金のはなし

金とお金の番外編。

僕は幼少の頃の思い出は比較的鮮明に覚えている方である。
いくつかのシーンは特に鮮明に。
幼稚園もも組のあきはま少年の色の好みは、
緑と黒の組み合わせ、そして赤と黒の組み合わせ。
意外にも青じゃない。
ゴレンジャーというヒーロー戦隊の中から好きな色が決まったようだ。
じゆうちょうにはクレヨンで大きくミドレンジャーの顔を描いていた。
目のところをV型に黒く塗りつぶすだけなんだが、
その角度とか太さとか、輪郭とか迷ったのを覚えている。

他の色では、これは別格で黒と金がかっこいいとも思っていた。
だけど絵の具の金もクレヨンの金も、なんか違うので金は別!(ぜんぜんピカっとしないじゃん!)と思っていた。
そんな幼少期に、黒と金にうっとり吸い寄せられた記憶がある。

それは街の小さな時計屋さんで起きた。
おそらく父の腕時計の電池交換か、修理なのか定かではないが
何度か時計屋に立ち寄ることがあった。
父が用事を済ますあいだ、ガラスケースに並んでいる腕時計を一つ一つ眺めていた。ちょうどデジタル時計が出始めた頃だったのだと思う。
あきはま少年は針の時計よりデジタル時計が断然かっこいい!と思っていた。
中でもお気に入りがあった。
金メッキフレームに艶やかな黒の文字盤のデジタル時計!
「かっこいい!!!!」欲しい!と心から思った。
父が用事を済ますまでの間、文字通りの目がクギづけである。
当然ねだったが、子供が時計をする時代ではなかったし、
たしかに必要もなかった。もちろん親父はまったく相手にしない。
数年後の誕生日に買ってくれたのは、針のつまらない時計だった。
あのころ感じていた強烈な物欲は、歳とともに減ってしまったなぁ〜。
それを持ち続けられる人がコレクターとかになるのだろうと思う。

幼少のあきはま少年も見事に魅入られた黒と金の組み合わせには、
おそらくDNAに何か書き込みがされているとすら思えます。
なんというか完璧にかっこいい!完璧に最高級な感じ!とか
ほら、だって海外のトップブランドもこぞって使っているし!

世界的に見ても黒と金の組み合わせの力を最初に使っていたのが日本人です。
と、以前ケルト文化を研究されている鶴岡真弓先生がおっしゃっていた。
言い方は違ったと思いますが、たしかそんな話をされていた。
たしかに日本の美術工芸品を振り返ると、黒と金は本当に多く使われている。

かつて金は日本でも多く採掘されていた。
その金を加工すれば、世界トップの極薄金箔を作る技術まで開発した。
そして日本の黒好きは、素材に現れる。
墨の濃淡、漆の漆黒(呂色)、金工では赤銅!
黒髪、黒目の人種という身体的な身近さもあるのかもしれない。
日本人は黒が昔から大好きなのである。

太陽の光の色の金、光を受けて作られる影の色、全ての色を飲み込んだ漆黒。
相反する世界がぶつかり生み出す必然かつ神秘的な陰陽の世界が
日本人いや人類の心を捉えつづけてきたのだろう。
室町時代以降、後藤家により金と黒を合わせることが
刀装では正装であり権威となり発展してゆく。

ちなみに赤銅と書くと赤っぽい銅でしょ?と思われがちだけれど、赤銅色は真っ黒です。
銅に数パーセント金が混じった銅を、特殊な液で煮る(煮色技法)と普通の銅色だったものが青黒くなるのです。これに金などを組み合わせて精緻な等装具を作ってきたのが後藤家であり、家彫り(幕府御用達の彫金)といえば赤銅と金なのでした。


『ここで現代の彫金作家の一人として声を大にして言いたいポイント。
日本の金工技術の特質すべき点の一つが、この合金を煮て色を出す色金技法(いろがねぎほう)です。
色金技法はかつて日本以外では目にしないもので(現代では赤銅はジュエリーの世界では世界的に知れ渡っております)、国内でももっと認知、評価されるべきものだと思っています。正直に僕の経験上で申しますが、国内の大手デパートでも美術画廊の担当以外では、まったくその価値が伝わらない現実があります。』

と最後に愚痴っぽいことを書いてしまいましたが、僕がこんな駄文を書きながら皆様に知っていただきたいのは、埋もれた宝を掘り起こしましょう!ということなのです。
まじで日本の金工って凄いんです!





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