見出し画像

金 お金のはなし 2

金色の夕日を見て心を動かされるのは、どんなに時間を遡っても人は同じなのではと思うことがあります。
それと同じように金を見つけた古代人も、何か分からないけれど惹きつけられる魅力と価値を本能的に感じ取ったのではないでしょうか。

金の凄みは、何か本能的にその価値をわからせる力を持っているところかもしれません。正直そんな金属を僕は他に知らない。
例えば艶のないプラチナのリングが落ちていても、ほとんどの人は手に取ることもないでしょう。正直、銀よりも地味です。

それが金のリングが落ちていたら、磨かれてなかろうと人目を惹く輝きを放つので、思わず手にとってしまうでしょう。さらに、実用面からも非常に多彩でオンリーワンな特質をもち、その容姿に違わないスペシャルな金属、それが金です。
時代を越えて、人々が虜になるわけです。

その金が価値の基準として使われるのは、至って自然な流れと言えましょう。
そしてその金を扱う人々が、特権を得るというのも納得できる話です。

西洋ではゴールドスミス(Goldsmith)金細工師たち。
日本では彫金師たちです。
(当時は彫金師という言葉ではなく白金師と言うのが普通で、彫金という名前が定着したのは一説では美術学校(現在の東京藝術大学)の創立時に、初代教授の加納夏雄たちが作った、というような事をどこかで読んだ。。。。気がします。)

面白いのが海外も日本も、金細工師というバリバリの工芸系の手先の器用な人たちが、並行して金貸し業という銀行の走りをして、ちゃんと成功している事です。

僕はそこにいつも、違和感を覚える。
だって現代の彫金師の端くれの僕からすると、、、、到底無理だから(笑

自分の地金の管理すら怪しいのに、他人の地金の管理やら、、、
なおかつ利息を計算したり、
僕の嫌いな事務作業、そして正確さが求められる仕事ばかりですよ。
ある意味緻密という共通点はあるもののジャンルちがくね?
ってなものです。


さあ、そしてやっと前回の続き。

日本の彫金界に君臨したその名門、


その名は


後藤家!


なにしろ、その繁栄した歴史の長いこと!

足利家から始まり、織田家、豊臣家、徳川家の各将軍家に仕えて
16代に及んで栄えたのです(17代典乗は明治)!!
室町〜明治までじつに300年オーバーですよ!

この日本史を彩る超個性派将軍達に、後藤家は信頼されてきたのです。
例えば信長にどれほど信頼されていても、
秀吉の代で切腹を言い渡された利久のように、
トップが入れ替われば、一気に立場が危うくなることもある。
現代だって社長が変わると、その取り巻きまで一新されたなんて、
そんな話はよく聞きます。
それを見事に乗り越えてきた、その手腕たるや!
その能力の高さ、そしてそれを後継に繋いでゆく教育力、恐るべしです。
一部、大河ドラマにもなっておるようですが(残念ながらテレビないので見ていない)歴史の教科書に載せるべき一族なのですよ。

では、その後藤家は何をしていたか?

大きく二つです。

武士の魂である刀の装飾を施す。
白金師のトップ!幕府のお抱えであり、
その技量もハイパーテクニシャン達を輩出しています。

そして、大判小判の製造と管理です。

今でいうと超絶工芸集団の家系でありつつ、
造幣局と日本銀行とを仕切っている!
みたいな感じでしょうか?

(後藤家にかんしては途中から大判を扱う後藤さん小判の後藤さん。そして白金の後藤さんと一族ではあるが、仕事を兼用はしていない。ともあれ最初の頃は兼用していたと思います。)

と次回はもう少し、後藤家に踏み込んでみましょう。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?