Disappear
十時間働いて家に帰ってくると、ぼくはろくに着替えもしないで、ベッドに突っ伏して眠ってしまった。なにしろ、とてもとても疲れていたのだ。眠りについた記憶すらなかった。ほとんど暴漢に襲われて意識を失ったかのような眠り方だった。
すると、筋書きのない夢を見た。そこでは神と呼ばれるべき存在が目の前に現れて、ぼくを神にしてあげようかと提案した。あまりに唐突でいかがわしい申し出だったので、ぼくは訝しげな視線を投げかけ、しばらく黙ったままでいた。神はじっとぼくの出方を待っているようだった。そうしていても埒があかないので、ぼくは質問をしてみることにした。
「そんなことが可能なのですか?」
「可能だよ」
「でも、あなたが神ですよね?」
「そう思いたいなら、それでもよいよ」
「ぼくが神になってしまったら、あなたはどうなるのですか?」
「どうもならないよ。わたしはわたしのままだよ」
「よくわからないのですけど、神が二人になるということでしょうか?」
「ちがうよ。わたしはわたしの神であり、きみはきみの神になるだけだよ」
「なるほど。ということは、世界はいくつもあるということですか?」
神はその質問には答えなかった。どうしてかはわからない。ぼくは「それでは、神にしてもらいます」と告げた。神は「うん、よいよ」と言うと、音も立てずに消えてしまった。
目を覚ますと、ベッドの上にうつ伏せになっているぼくがいた。奇妙な夢だと思った。そう感じながらもぼくは自分が神になっているのかどうかを確かめるために、試しに八万円を手の平に出してみた。すると、まばたきをするよりも速く、手の平には剃刀の刃のようにピンと張った一万円札が置かれていた。数えてみると、きちんと八枚あった。
どうやらあの夢は本当だったらしい。ぼくは八万円をベッドの上に置き、しばらくこの事態について考えてみた。けれど、寝違えた首が痛んでうまく頭を働かせることができなかった。夢の続きを見ているような気がした。
もう一度、今度は傍らに置かれた八万円を消してみた。八万円は最初からなかったかのようになくなった。ぼくはなんだか嫌な気持ちになり、再びベッドに寝転がった。
つまり、この世界はぼくの思うがままになるということだろうか。望むものはすべて形になって現れる。願うことはすべて実現していく。すべて思いどおりになるのだ。
けれど、それがなんだというのだろう? ぼくは思った。ぼくにはもう望むことなんてなにもないのだ。ただ静かに眠りたいだけなのだ。夢なんて見ないくらい静かに。
囁くように息を吐き出し、瞼を閉じると、ぼくは眠りの世界に落ちていった。その瞬間、神は消え去り、この世界もなくなり、僕自身も消滅した。
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