Frederic

 サルバトール・ダリの絵のモチーフのようにどこかちぐはぐな印象を受けるその図書館は、とりたてて特徴のない住宅街のなかにあった。ぼくは返却期限を一週間ほど過ぎたフローベールの『感情教育』とスティーブ・エリクソンの『アムニジアスコープ』、チェーホフの短篇集、それからアーヴィン・ウェルシュの『フィルス』とブローディガンの詩集という文学的まとまりを欠いた一連の本を、無印良品のトートバッグに入れてそこへ向かった。とても気持ちのいい小春日和の昼下がりに。
 カウンターのなかに座っているマダム・タッソーの蝋人形館に似つかわしい職員の女性は、ぼくが差し出した六冊の本を受け取ると、返却期限に一切触れることなく手続きを済ませた。そのスマートさがかえってぼくを申し訳ない気持ちにさせた。
 ちくりと刺激された罪悪感を傍らに置いておき、ぼくはフローベールの二冊の文庫本を手に取り、すみません……この本をもう一度借りたいんですけど、とつぶやくように彼女に言った(まだ上巻の途中までしか読んでいないのだ)。
 彼女はやわらかく平板な口調で、延長ですね、では、図書カードをお願いします、とぼくと彼女のあいだにある空間に告げた。その声はぼくよりもむしろ本のほうに訊ねているように聞こえた。
 ぼくはカードを差し出した。滞りなく貸し出し手続きが済み、こうして少なくともあと二週間はフローベールはぼくの手元に留まることになったわけだ。
 それから十日間は同じような天気の日が続いた。そのあとの四日間はしとしとと雨が降った。気温は五度あたりをふらふらとさまよい、灰色にくぐもった雨雲は粘着質な底意地の悪さでもって空に居座り続けた。
 二十日ほどたったあとも、依然として『感情教育』はぼくの部屋の片隅に置かれたままだった。いつまでたってもフレデリックがアルヌー夫人への恋のてがかりを見つけられずにいることを気の毒に思ったが、どうしてもページを繰る気にはなれなかった。ぼくが読もうと読むまいと彼は彼でなんとかやっていくさ、それにその方が彼にとってもよいことかもしれない、などと勝手なことを夢想しているうちに、また数日が過ぎていった。
 一ヶ月が過ぎた頃、ぼくは重い腰を上げてようやく図書館へと向かった。
 ところが驚いたことに、図書館のあった場所はきれいに更地になっていて、工事用のフェンスが張り巡らされていた。建物の老朽化により建て直しをするので、返却は市内の別の図書館にお願いします、という貼り紙が貼ってあった。
 というわけで、フレデリックはまだぼくのところで恋のきっかけを探している。

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