Anger

 ねえ、怒ってる? 彼女がぼくに訊ねる。
 怒ってないよ。ぼくはそう答える。
 少しのあいだじっと黙りこんだあとで、彼女が再び訊ねる。ねえ、やっぱり、怒ってるんでしょう?
 怒ってないったら。ぼくは答える。
 その後も彼女は幾度となくぼくに訊ねつづける。でも、ほんとうは、怒ってるんでしょう? と。
 煩わしさに辟易したぼくは思わず怒鳴り返す。いいかげんにしてくれ。怒ってないと言ってるじゃないか。
 ぼくの声の大きさに彼女は一瞬怯んだように見える。そして短い沈黙のあと、彼女は恨めしそうな目つきでぽつりと洩らす。ほら、やっぱり怒ってるんじゃない、と。
 その一言はぼくの気に障る。こんな言いがかりをつけられるおぼえはない。
 ああ、怒ってるよ。でもそれは、きみがあんまりしつっこく訊いてくるからじゃないか。最初に訊ねられたときには、ぼくは怒ってなんかいなかったのに。
 それを聞いた彼女は冷ややかな目をして言う。嘘よ。あなたははじめから怒っていたんだわ。業腹だったのよ。
 そんなことはない。ぼくはきっぱりと言い放つ。
 いいえ、そうなのよ。あなたは確かに怒っていたの。彼女が続ける。あなた自身が気がついていなかっただけなのよ。
 そんなことがどうしてきみにわかる? ぼくの感情はぼくのものだ。誰かのものじゃない。ぼく以外の人にわかるはずがない。
 そうね。そのとおりだわ。でもね、たとえあなたの感情があなたのものだとしても、その感情がわたしに向けられているとしたら、それはあなただけのものではないのよ。わたしのものでもあるのよ。
 ぼくは押し黙るしかない。言うべき言葉を見失ってしまう。それと同時に、身のうちに感じていた怒りも苛立ちも、するりと滑り落ちてゆく。
 彼女もまたなにも言わずにいる。無機質な表情を浮かべながら、ただじっと立ちつくしている。
 いくばくかの時間の後、ぼくは彼女に訊ねる。きみはいま、腹を立てているのか? と。
 彼女が答える。ええ。腸が煮えくり返りそうなくらいにね。

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