この贈り物を誰に返せばいいのか?

大好きな先輩が亡くなった。

交通事故だった。

告別式の帰りの新幹線でこれを書いている。

先輩に出会ったのは僕が大学一年生のとき。誰も知り合いのいない東京で一人暮らしを始めたばかりで、今思えば不安で仕方なかった。先輩はもう大学四年生で特別なつながりがあったわけではなかったけれど、いつの間にかよく面倒を見てもらうようになり、一緒にいろんなところに遊びに行き、一緒においしいご飯を食べて、一緒にたくさん話をして笑った。

心から尊敬する先輩であり、なんでも相談できる気の置けない友人であり、かけがえのない姉のような存在だった。

先輩は一緒にご飯を食べるとき頑なに僕にお金を出させなかった。いくら僕が遠慮しても、いつもほとんど強引に奢ってくれた。僕が隠れて払おうとすると怒られた。そんなとき先輩はいつも言った。

「じゃあその分はあなたの後輩に返してあげて」

後輩に奢ることはあったけど、いつかお世話になりっぱなしの先輩に恩返しをしたいと僕はいつも思っていた。

でも「いつか」はもうこない。先輩はもういない。

僕には先輩からもらった大きすぎる「恩」だけが残った。

ただ気づいたことがある。僕にはそもそも「恩返し」はできなかったのだということ。

例えば先輩が奢ってくれた分のお金を返せばいいかと言えば、そんなはずはない。百倍千倍にしても、全く足りない。あのとき先輩がくれた時間も、言葉も、優しさも、すべてが今の僕をつくるかけがえのない、僕の人生のすべてをかけても到底返せるはずのない「贈り物」だった。

自分では返せないほどの贈り物をもらったとき、人はどうすればいいのだろう。

そのこたえも先輩が教えてくれてた。

「その分はあなたの後輩に返してあげて」

「後輩」はなにも学校や職場に後からはいった人というだけではない(僕は勝手にそう思うことにする)。僕より後から生まれた世代、とくにこれからの子どもたちに僕も「贈り物」をしよう。先輩がしてくれたように。

もちろんお返しはいらない。僕は僕が受けた恩を勝手に返しているだけなんだから。

もし返したいと言われたら僕も先輩のように「その分はあなたの後輩に」と伝えようと思う。

そうやって、「この贈り物を誰に返せばいいのか?」という思いがつながって、この社会は続いてきたのかもしれない。

自分の特別な才能や努力のためではなく、自分から望んだわけでもなく、僕たちはすでに返せないほど大きな「贈り物」を受け取っているんじゃないか。いつの間にか先の世代から贈られ、後の世代に返していく(でもいつまでも返しきれない)もの。

そんな「贈り物」を教えてくれた先輩にこれからも何度も何度も伝えます、ありがとうございました。

心からご冥福をお祈りします。

いつか、また。


鬼頭暁史


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