すごいね!

この言葉は毒を持っている。なぜだろう。

凄いというのは感想であり評価である。凄くない人がいるから、凄い人が存在する。つまり、評価者は対象に対して「自分はあなたを凄い人として選別した」ということを、「凄いね」という言葉では伝えている。

褒めるときに「凄い」という結果ではなく過程を褒めろという話は既に有名になっている。そうはいいつつ、まだ結果の凄さを称賛する文化が残っているのは何故であろうか。

それは多分、敗戦時に降りてきた「個人」いや、「孤人」の文化である。西洋の歴史館から編み出された個人という概念を多神教の私達は全く理解ができない。稲を村一帯で共同し作っていた民族が突然「個人になれ」と言われたら、それを拡大解釈し、「全て自分で片付けなくてはならない」と勘違いする。これが孤人化の原因である。、

孤人化は人との深い関わり合いを葬り去った。過程を共にしていたのに結果を観察し合う関係になった。それがまさに結果主義の根底にあるのでは無いだろうか。


深夜に書きたいことを書こうとすると眠いですが、かと言って昼に書きたいことはあんまりないものです。むつかしい。

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