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長いラブレターのようなnoteの使い方

2016年頃から細々と、ちょっとした創作をこっそり載せるためにnoteを使い始めた。だいたいは恋愛ショートショートで、夫(当時は同棲していた彼氏)がいない家に帰るのが嫌で毎日仕事帰りに飲み歩いては、頭の中で「結婚しよう、結婚しよう、幸せにするから」なんて思ってた、そんな時代から使っている。
ぽつりぽつりと書いていたのだが、2019年の2月、長女の妊娠が発覚したとき(飲めないコーヒー)から、超初期すぎてまだ人に言えないけど気持ち悪い日々のじぶんの心とからだのことををそのまま書き写していきたくてnoteにほぼ毎日投稿するようになっていた。妊娠中のあれこれや、膨らんでいくからだとまだ自分自身のものでありたかった当時の私と、マタニティーブルーと、産まれるその時、産後のメンタル、育児とママならない私自身のことなど「#ちあきろく」のハッシュタグで書いてきた記事はいつの間にか348本。
ある種の狂気。誰のためになんのために書いているの?と問われたら多分、「私は私のために書いている」というので間違いない。自分の書いた文章を一番何度も何度も読んでいるのは、結局私自身だろう。私は、私の、書く言葉が割と好きだし、私は私の言葉で、私の記憶の手触りを思い出したいのだ、何度でも何度でも。

コロナ禍と育児、仕事との両立問題、そして2022〜2023年は、第二子妊娠中に自分自身が倒れて(切迫流産で2ヶ月絶対安静だった)大丈夫になったとおもったら今度は母が倒れてしまって、「里帰りしたら喧嘩する」なんて心配できていたこと自体なんて幸福だったのだろうと思いながら東京で2人目を産み、意識朦朧としている母にビデオ通話をして悲しくなり、なんとか子供を会わせようと生まれた後もちょこちょこ会いにいったりしつつ必死で2人育児に奔走して自分の家族を守るので精一杯。そして昨年末に母が亡くなって、「娘」としての私はまだどこかに置き去りにされてしまっているような感覚のままで、いる。

このnoteの中には、母が死んでしまうなんて微塵も思ってなかった時代に、母に対しての恨みつらみを書いたものもある。死んでしまうってのはなかなかずるくて、いいことばっかり思い出しがちなので「母への怒りの鮮度」が良い状態で書き殴った文章は大変に貴重だ。そうそう、母ってとんでもなかったよな、ということも、でも信じられない愛情の深さがあるからそれでなんでもOKにしようとしてきてたよなということも、忘れられないでいられる。言葉が残ってるから。あと母のあれやこれやに怒っていたのは、最大級に甘えていたからだなあって今やなんとも羨ましさすらある。

私は長生きしたい、というより死ねない、と思う。
少なくとも母よりは長生きしたい。63歳で死んでしまったのはやっぱりどう考えたって、酷すぎる。早すぎる。いい加減にしてほしい。

言葉は怖いので「私は長生きする」と、言い続けていこうと思うけれど、それでもなんとなく、なんとなくの恐ろしさみたいなものはやっぱり抱えているので、ここの場所に私の言葉が残るのはちょっと良いなと思っている。ラブレター的なものとして(こんなあけすけなラブレター!忙しい夫への恨みつらみつつみ隠さなすぎてどうかとおもうけれど)残しておきたい、の、である。

あとは結局いちばんの読者である自分自身のために。
これからもぽちぽち書き置いていきます。





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