在外国民審査

最高裁判所長官は内閣が指名し(6条2項)、その他の最高裁判所判事は内閣が任命する(79条1項)。内閣は、国民が選んだ代表者で構成された国会の信任を得ているので、その内閣が最高裁判所の裁判官を任命するということで、最高裁判所裁判官に対し一定の民主的コントロールが及んでいるといえるだろう。

しかし、上記の民主的コントロールだけでは不十分であるから、任命後最初の衆議院議員総選挙の際とそれから10年経過後最初の衆議院議員総選挙の際に、国民が最高裁判所裁判官を罷免できる国民審査権が保障されている(79条2項・3項)。
主権者である国民は公務員を選定「罷免」する権利が保障されており(15条1 項)、裁判官は公務員なので、国民審査権は憲法79条2項3項だけでなく憲法15条1 項によっても保障されてるのである。
国民審査権は国民審査法により具体化されている(79条4項)。

裁判所は、国民に適用される法律や処分が憲法に違反しないか審査する権限(=違憲審査権)を行使するところ、最高裁判所裁判官は違憲審査権を行使する「終審裁判所」である(81条)。公権力から国民の憲法上の権利を守る最後の番人といえる。よって誰が最高裁判所裁判官として不適切かをチェックする国民審査権は、極めて重要な憲法上の権利といえる。

ここで、国民審査権と選挙権と比較してみる。(ともに15条1 項によって保障されている)
選挙権は、法律を制定する国民の代表者(=国会議員)を選ぶ権利である。法律は国民の権利を制約することがあるが、国会議員は憲法を遵守して法律を制定する義務があるので、制定する法律が国民の憲法上の権利を侵害してないか判断しながら立法しなくてはならない。国民は、自己の憲法上の権利が侵害されないように代表者を選ぶことで自己統治しているといえる。
国民審査権は、その裁判官は国民の憲法上の権利を侵害するような判断をしていないかチェックしている。
選挙権が保障されただけでは国民の憲法上の権利は守られない。国民審査権の保障も必要である。国民審査権は、選挙権と共に主権者である国民(前文・1条)の自己統治にとって重要な憲法上の権利なのである。

この国民審査権が在外国民に認められていなかった。在外国民の選挙権に関しては「在外選挙人名簿」が作成されており、この名簿記載の18歳以上の日本国民に選挙権を認めている(公職選挙法)。
それに対し、国民審査については、「在外国民審査名簿」は存在しない。「選挙人名簿(=市区町村の区域に住所を有する18歳以上の日本国民)」に記載された者が国民審査権を行使できる旨の規定があるだけである(国民審査法8条)。在外国民は「選挙人名簿」に記載されてないので、国民審査権は行使できないのであった。

在外国民に選挙権を認めているのだから、在外国民審査も認めたらいいと思うが、在外国民審査は技術的に実現困難であると政府は言い続けていた。次のような理屈である。
国民審査は記号式投票(=投票用紙に裁判官の名前が印刷してあり、国民は罷免したい場合は✖️を付ける)でなされている。衆議院が解散され、衆議院総選挙がなされることが決まった段階から、国民審査に付される裁判官を決定し、印刷するなどの過程を経て、国外に郵送することになるが、それでは衆議院総選挙の投票日・国民審査の投票日に間に合わない。よって在外国民審査は技術的に困難である、というような「屁」理屈(ヘリクツ)である。

しかし、自書方式投票(=裁判官の名前が印刷されてない用紙に、罷免したい裁判官の名前を国民が書く)で行えば良いだけである。現に(国内の国民審査において)点字投票は自書式方式でなされているから実現困難とはいえないだろう。

判例は選挙権の違憲審査においては、選挙の公正を確保しながら選挙権行使を認めるのが、事実上不可能であったり著しく困難な場合にのみ、やむを得ないとして選挙権の制限を認めている(最判H17)。

選挙権と同様に主権者にとり重要な権利である国民審査権の制限についても、この違憲審査基準によるべきである。

上記のように自書方式投票により在外国民に国民審査権の行使を認めることは事実上不可能ではないし、著しく困難ともいえない。自書式投票により国民審査の公正を害するともいえない(=国民審査の公正を確保できる)。よって在外国民が国民審査権が行使できないことはやむを得ない制限といえず、憲法15条1 項・79条2項3項に違反しているといえる。

(つづく)









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