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一言でいえば「めんどくさい」

いや、記事の話ではなく。
今回は流派の話。



そういえば、町道場がどうのこうの、と昨日書いたけど。

今ではもうその道場の生え抜きばかりになって、
意識する事は無くなったのかもしれない…
というか道場としての生き残りが主目的となってるかもしれないんだけど。
(なにせ世知辛い世の中、空手道場なんて腐るほどあるのよ)


私の頃には、センセの出身によって、根強い対抗心といったものが存在してたと思う。

その道場は特に公言してて、
「うちは町道場系、大学系とは別系統。」
と言われた時は、そーなのねー?としか思わなかったけど。

これは、空手の流れにもよるもので、経緯を知るとなるほどな、と。

こんな所で歴史を感じるものなんだなー、と思ったので体験談?として。


元々は船越先生という方が、本土に招かれて紹介したのが始まりとされてるけど。

その後、大塚先生という方が本土の柔術の稽古法や思想を取り入れて一流を立てたり。

沖縄のてぃー(空手)をやってた連中から、彼なら良いだろう、とされて教えてた摩文仁先生。(これもかなり経緯は複雑なんだけど)


そして、立命館大学で教えられた剛柔流の系統(当時は那覇手、か)。
これが今回の話題でもあるわけで。

うちの大センセ(道場主)は、沖縄に行って那覇手を学んできて、当時でも交流してるくらいのお人で。

どうやらこっちの事を「町道場系」と言ってるらしい。

要は大学で「スポーツとして」教えてるのではなくて、
「武道」として伝統を教えてる、と言いたいんだろうね。


まあ大センセ自体はケレン味溢れる山師的な人物で、お金と暴力大好きな人物だったけど…

確かに、武術的な事はここでほとんど学んだかな。
まあ直接学んだのはS先生だけど。


ひとくくりに言うと、
「伝えた人、系統が違う」という事やねー。

これは、やっていくほどに感じることではある。
「どうやっても、どう頑張っても合わん!」
というのと、
「あ、これならいいわ、面白い!
というのは、必ずぶち当たる。

一所で長く突き詰めるのもいいけど、
他所も参考にしてみるというのも良いかもね?

やり過ぎると私みたいな根無し草になるけどw


この4つと、もうひとつ玄制流という躰道を興した先生の流派を含めて伝統派というジャンルの概要なんだけど。

それぞれが非常に様々な事があって。
一概にこれ、とは言えんと思うのよ…どんな組織でも一緒だけどさ。

まあね、まるきり違う流れの、しかも我の強い連中が…
ひとつの組織としてやっていこうというのだし。

流派それぞれでも、沖縄と本土、世界で温度差激しいし。

でもまあ。
人の営みというかうねりというのはそういうものよね。


ちなみに、私はある意味門外漢だからこうして傍目で見てるけど。
仲の悪さは相当なもんだと思うw

仲良くして、良いものは取り入れてけばいいと思うんだけど…
盗ったとられたと、いつまでも言うのもこの世界だしなあ。
それに、手の内を知られる事そのものが流派としての危機というのも根強いし。

これはスポーツとしての皮を被った武術の欠点よなあ。

ま、私はその辺に関わらんし、どうでもいいんだけどw
私は私のやりたい事をやるのさ。


ちなみに、老人介護施設で正月にやった「かくし芸」として、こんな話をしてたりw
それをも少しまとめてみたものだねー。

武器や素手の型を見せたら楽しんでもらえたみたい?

フルコン系はまた別の機会というか、既に本流?をyasuさまが書いてるしな。

私は同ジャンル他流派から見たものしか分からん、というのもある。

あと分かるのはキックボクシングの複雑怪奇な一端くらいか。
とはいえ、スポーツとしてみたらそんなでもないのか…?

などと色々物思いをしつつ。
よもやま話はおしまい。