全く別の意味

格闘技では、最適化が至上命題なんだけど…勝負だからね。

じゃあ何に対して?というと、ルールに対して。

ルールに従う中で、最も効率の良い戦術が、大勢となっていく。


でも、型稽古なんかだと、効率としては決して良くない。
やらない動作やぼやけた目的、対人練習より少ないフィードバックなど、ネガは挙げられるのだけど。

こと「気づき」という意味では、大事な稽古だと思う。
反復練習で無意識に落とし込んで、最適な動きを自動化するという意味を置いといても。

それは、想定してるものが「競技」という限定された枠を超えて、何があるか判らん状況も含めてが、元々の成り立ちだからじゃないかと。

そりゃね、稽古したら戦場に立てる…なんてものではなかっただろうさ。
(じじいの育った環境は除く…あれはあかん、ワンマンアーミー育成機関や(⁠•⁠ ⁠▽⁠ ⁠•⁠;⁠))

それでも、イザというときのできる限りの想定を当て嵌めることはてきたんだろうなあ…と今日やってて思った。


まあ、大したことじゃないんだけどね…

蹴り技では膝を上げて防御するんだけど…
武器だと足で迎えるんじゃないよな、と。
刃物が相手だと斬られちゃう。

この場合、足を狙われたら避ける、崩れないように体勢整える、となるんだろうね。
まあ、そのうえでできる事…得物踏んで止めたり、体重移動して位置変えたり、二兎も三兎も追っていくんだろうけど。


同じ動作でも目的が変わって、動き方まで変わるから…面白いなあ、と改めて。

そして型ってよく出来てるなあ、と改めて感心する。
もちろんただの基本動作でしかなくて、対人稽古も必須なんだけどさ。

そんな感じの、今日の稽古だった。
元旦から何やってんだか…凹