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よもやま話

そうか、イメージを行動に活かすってのは、あまりやらんのかね、皆。


無いものを有るとする、有るものを無いとする…これと動作と結びつけて、望む結果をでっち上げる。

こういう考え方は、学校じゃ習わんかったな、確かに。


でも、「方便」として?
空手の説明の中で、不可解な動作と共に「こういうものだ」と手ほどきをしてもらった。

例えば「筋トレせず寝てても筋肉つく」、とか。
「薮に入っても気合が充実してる間は蚊にくわれん」とか…これだけは絶対違う!と言いたいけどw


理屈は他にあるし、説明にはなってないんだけど…
事実としての現象は起こり得る。

そんなのを伝えようとした結果が、こういうのなんじゃないかな。


重心を前に移動する、
体軸の捻りを使う、
急所を守る、
バランスを崩さない、

そんな「言葉では解っても体でどう表現するか」が見当もつかない、「他人の感覚」を伝えるための方便だよね…
「虚空を掴んで押したり引いたり」というのも。


そして、
見様見真似ができる人とできない人、
文章化して頭で考えないと理解しない人、
手取り足取りを繰り返す必要のある人、

様々な特性が人にはあるのよ。

並べてやってる通りやれー、と声かけるだけでは、取りこぼすのは当たり前なのよ。


指導というなら、できる所まで引き上げないと。

私なら恥ずかしくて言えんね。


とはいえ、相性はある。

反発したり、舐めてかかって聞く気も無いのも割と居るし、興味無い人も中には居る。

成果というなら個人にもよるのよ…




でも、ご縁があって話が通じるなら…

頭から否定せず、「自分で確認してみる」のも損ではないと思うんだけどね?
荒唐無稽な事を言ってるものだとしても。

的を射ようとしてるのではなくて、先ずは馬を射ようとしてるのかもよ?


これのことを、学ぶための素直さ、というのかもしれんね。

鵜呑みにしろなんて誰も言ってないのよ。
できるようになってから、後から考えて自分なりの答えにすればいい。


ふと思ったけど、どことなく坊主の説法みたいな、煙に巻く話になったw

仏教を根底に置いた社会の中で伝えてきたものだからかねえ、あの人のてぃーも。