敷居が高い、か…

コメントで、
「型って敷居が高いものだったんですねー!」
とあったので…「私の聞いたこと」を書いてみる。 


敷居が高いというよりは、むしろ知られるとまずいものだったらしく。

夜中に身内だけで稽古するものだったみたい。

まあ、身分制度が厳しくて…下の身分のものを強奪するようなのもあったみたいだけど。

表に出てきたのは平安の形が出てきて、「体育のために」普及したのが転機だったんやなかろうか。
(体育は現代の意味ではなくて、兵役検査に良い成績を出すためのもの)
そこで有益なもの、と世間での評価(恐らくは本土での)を得て…出てくるようになったんじゃないかな、と。

それまでは宮殿で大陸からの使者の接待時に披露されてたみたいだけど、やはり家伝のものと表に出すのは違ったんやなかろうか。

しそうちんなどを披露した、という猫新垣は、教える時はそうちん、にーせーしー、うんすーの3つだった、とも聞くし。


本土への紹介も、軍部の意向があったと思うけど…まあここじゃ関係ないやな。

で、本土で紹介された空手(唐手)…
形稽古重視というか、それが原因で乱取りなど古武術の様式を取り入れて袂を分かったり、他の人もだんだん伝えるようになったり。

こうして普及はしてったんだけど…
やはりベースが無ではなかったのが、変容の理由だと思う。

柔術の組技を講道館が、当て身(打突技)を松濤館が、などと色々模索もあったみたい?

それと共に、練習体系や習慣なども受け継いでったみたいで。


私の最初に習った人は、技や段位をお金に変える人だった。

全国各地を巡って弟子をとり、金品で技や段位を渡す、というのは芸者(習い事全てにおいて)のよくある生き様だったようで。

現代でさえ、この習慣はある程度受け継がれてる…と周りを見渡して、そう思う。

当然払うもの払わなければ、内容に差が出てくるわけで。

形なんてものは、そういう意味でも一番「売り物」になってたんだろね。

今でもモチベーションアップに繋がる、とされる昇級審査なんて…要はそういうものだからね。


沖縄での話は、聞き覚えでしかないんだけど…

形は1日で平安5つ覚えさせられたとか、他所の名人のとこに通わされて覚えさせられたとか…
同じ時代の人間の話では、割とオープンなイメージを受けた。

ただし、仲間内に限る、という条件付きかもしれんけど。

海外勢を見ていても、割と直で伝えられてると思われるものも見られるので…
普及活動は進んでるんだろうと思われる。

というよりは、元来の方法ではなくて、本土風の経営に変わってきてるみたい?


本土では全空連が幅を利かせて形の動きを制定してるため、沖縄の形はあまり見られんのだけど、海外では結構見かける…

形も開放してる、ということかね。

ただし、形は教えるけど使い方を教えん、というのは聞く。


理屈に合わん動きをビデオにして販売してたり、解説してたり、というのも…
空手だけでなくてもよく見かけるし。

元々はそういうものらしくて、そういうコツは教えるものではなくて。
夜にホッカムリ被って…
暗い中で形を披露し合ったり、打ち合ったりと今でいう試合…掛け試しをして、使えるかどうかを試してたそうな。

…ほっかむりは、してたらいくらバレてても知らんぷりがお約束だったそうな…(笑)


確かに形はぽんぽんと教えるものでない、というのは「商品だから」という側面と、「家伝の少数を伝えるものだった」ということ…

それが時代の流れで普及に努めるようになったけど、やっぱり中身は以前のまま、教えるもんでもないよ、ということかねー。


ちなみに、私は「型」と書くけど、ここでは通常使われてる「形」と書いてる。

意味はある。
けど、単なるこだわりなので…どっちでもいい事なのよね。
同じ読みだし?

形は、美しいもの素晴らしいものへと作り上げていく、という意味があるのに対し。

型は、実用に足るように押し込んでいく…誰でもできるように、という意味だと思っている。


あくまで使うための道具であって、芸術ではないと思うんだ。

そんな事を忘れん為の、型なのよ。


意味はどうなのか知らんけど、こちらを使う流派もある。

どうなんだろね?


などと、とっちらかったままでまとめきれずにぶん投げとく(笑)