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岡山県の潜在的なコト1

8月24〜26日まで、家族で岡山県を旅行
しました。目下、夫の妹さんご一家が
倉敷市に転勤していまして、早5年目。

昔独身の頃、私は両親と二度、存命の頃は
祖母も一緒に一度行きました。
岡山市内とは言うものの、当時愛称がなかった
吉備線の備中高松駅に降りてタクシーで
最上稲荷をお参り。倉敷では美観地区や
大原美術館を巡りました。当時は親もまだ
糸巻き屋(ミシン糸を巻き上げる撚糸業と
染工した糸に油で加工する)をしていたので
クラボウの本拠地を見られたことや、
水攻めで有名な高松城付近の様子がのどかだ
と言うことが勉強になったのが24,5歳の頃。

あれから早20年近く経ち、今度は似たような
場所も巡りつつ、美観地区にみっふぃー蔵の
きっちん(←ミッフィーのパン屋さん)だの、
いがらしゆみこ美術館だの、卵をテーマに
土日祝日に限って玉子かけご飯を出すお店
(私達はプリンやチーズケーキ等デザートを
食べました)だの、スヌーピー茶屋のチョコ屋
だのと変わりました。チャイニーズさん達も
増えましたね。

初日は、基本的に岡山市内を巡りました。
「バナナマンのせっかくグルメ」でどこか
紹介されてるか?というのも選ぶポイントに
なり、「えびめし」を食べに出かけました。
何と、名古屋ナンバーの私達も霞むほど!
当日で青森、福岡、足立が多かったかな。
大阪(堺、なにわ、和泉)や神戸、香川では
近い近い!東京ベースで映るとこうなるという
のがよくわかりました。


えびめしのハーフサイズ

わたしはオムライスのようになったえびめしを
注文しました。


これがオムライス版えびめし(その名もオムえびめし)
お店の壁紙がミッフィーの自転車姿。ホッとします。

えびめしというので確かに殻をむいたエビが
よく入っていたので、食べ応えがありました。
しかし、何やら奥の方〜にカレーの味がする
訳です。夫も子どもも「何やらカレー味も
あるなぁ」と言い出しました。

聞けば岡山にえびめしが入った明治終わりの
当初は、江戸から名を変えた東京で、ドライ
カレーがブームになっていたんだとか?
とすると、そりゃ納得。瀬戸内の環境の
お陰でえびも投入した方がいいということに
なり、今や岡山では地元の味になったとの
話です。

お昼を終えて、娘が今年受験生なので、
効き目のすごい最上稲荷をお参りすることに
しました。お久しぶりのお参りに、個人的には
家族の健康と娘の合格と普段の穏やかな生活を
お願いしました。
場所柄、あの水攻め計画の際の秀吉側の
陣地があったので、お稲荷さんの脇のお堂に
「いかにも陣!」というオーラと、説明書きを
発見した時は「こんなの20年前見たかなぁ?」
と感じてしまいました。

お参りを終えて、移動している車の中で
夫と娘が「看板に、犬養木堂生家跡って
あるなぁ。誰の家?」と尋ねられました。
こんな犬養さんだから、と思ったら、
まさかあの犬養毅氏の号で、本人の生家!
あの方岡山の御仁だったのですね。
娘に、「号って何?」と言うので、絵や書を
書く時などのペンネームだよと。せごどん
(西郷隆盛)でも、書をしたためた後のサインは
南洲って、持ってたんだよって。
この時点で驚きその1。犬養毅氏の生まれは
岡山で、備中高松付近、号は木堂。

朝岡山駅近くの県庁通りに、息子のリクエストで
路面電車に乗った時に、私達が乗った電車だけ
やたらと外人さん(観光客)がギッチギチに
乗り込んでいました。そりゃバスより路面電車
の方が気楽よなぁ。県庁通りの一つ前、城下
(岡山城の城下町という意味)で、あんだけ
ギッチギチに乗っていたお客様がドドーっと
降りてしまいました。私と娘と息子、あとは
地元の方らしき方が2人ほど。土曜の朝の10時
だとそんなもんかなぁ。

岡山城と県庁、あとは県立図書館が背中
合わせでありました。案外お城や後楽園に
お出かけになるのは県庁通り電停のほうが
ええかもしれません。
県立図書館には大きな鳥瞰図がありました。
立体的で芸術的なものでしたよ。

岡山文化地区鳥瞰図、と見えますね。
かなり大きいです。川沿いの向こう側が
後楽園、手前のL字の堀の方が岡山城。

岡山城の主は代々池田家。先の天皇である
上皇陛下の姉上、池田厚子様の嫁ぎ先です。
山の手の方には、御殿様達の動物園が
あるんですよ。

実は、池田と言って、「池田恒興」が出て来たら
正解!ですが、本筋はこの後鳥取に行くそう。
鳥取の分家が岡山だったそうですが、山陽道の
姫路に次ぐ要の場所。ある時岡山の御殿様が
なくなり、代替わり。次の殿様が何とまだ
10(とお、10歳)にも満たなくて、これでは
危ない!と、幕府は配置換えを検討します。
しかし、きっと土地(領地)を取られそうと
考えた池田家は、「跡継ぎのサポートを
鳥取から出向いてするので、取り上げるのは
待ってほしい」ということになって、了承を
取れたそうです。
というわけで、本家が岡山に移り、大きくなると
鳥取にお坊っちゃまは引っ越し、つまるところ
同族でコンバートしたそうです。

岡山と鳥取でそんな歴史があったとは!
不思議なもんですわ。多分鳥取市内を
回ると、似たような風景が出てくるかもしれない
ですね。

あと、夫が、泊まる宿が児島で、瀬戸大橋が
近いということを知り、見に行くことに
しました。

それが、隣の倉敷だと天領の為、街の
テイストがだいぶ変わります。
ですが、倉敷の後に津山へ行くと、また
すごい城下町が現れます。
そのあたり、続きでまた書こうと思います。

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