最近読んだ本「失礼な一言」
わが家はいまだにペーパーの新聞を朝夕刊購読しています。エコ考えたらそろそろ止めた方がいい?とも思いますが長年の習慣は変えられず。。。
と、朝の新聞広告で見つけた「失礼な一言」、ポチった日の夜には届いてていつもながらamazonには驚きますわ。わたしそんな急いでへんねんけど。
さて、まず著者が設立した「失礼研究所」のくだりでププっと吹き出し、そのあとも笑える事例が続きました。「失礼な一言」というタイトルですが、言葉だけに限った内容ではありません。
「年賀状の失礼」からはじまり「ペット」「飲み会」などのシチュエーション別の失礼や、「年齢」「学歴」や「LGBT」などの属性による失礼など「あるあるー」と、思わず声が出てしまいました。
☆☆目次からいくつかの項目を☆☆
日常生活の失礼・・・年賀状、飲食店、ペット、ルッキズム
言葉をめぐる失礼・・・LINE、電話、敬語、慣用句
属性にまつわる失礼・・・年齢、学歴、ハーフ、LGBTQ、在日
ライフスタイルへの失礼・・・仕事、子育て、冠婚葬祭
根源的な失礼・・・古典的な失礼、被害者の落ち度、昭和、礼儀正しさの不快
日本で育ったハーフの方への「何で英語話せないの?」と見た目の印象だけでの質問とか、国籍について「日本です」と答えたら「なんで××(外国)にしないの?」、逆に「××です」には「なんで日本にしないの?」とどっちにしても責められてるやん、みたいなのはまじで笑えないと思いました。
うちの父もそうでしたが、外国語で話しかけられたら「日本語しゃべられへんねんやったら帰れ(来るな)!」言うたり、そしてそれを指摘すると「島国やからしゃーないやろ」みたいな開き直りもよくあります。似たような事例も本書にありましたが、日本人以外(これもハーフの方にかなり失礼ですね、すみません)に対する不寛容さも、悪意がないだけに非常にやっかいです。
※ちなみに父は、わたしが海外生活で苦労したのちは反省して外国からの方にも優しく接するようになったとのことでした^^
と、さまざまな笑える&笑えない失礼満載でしたが、「こういう人いるよね!」と笑いながら「こういう本読んでるわたしはちゃうけど」と思ってる時点であなたもアウト!という指摘もありました。
「なんて失礼な!」と相手のことを感じたときには、果たしてあなたも失礼かもよ、みたいな。
そして、なるほどーと特に納得したのは最後の方で触れられていた「公正世界仮説」でした。著者もこの考え方を知ったとき「大げさに言うと生まれ変わること」ができたそうです。「公正世界仮説」とは、簡単にいうと「被害者にも落ち度はあるはず」という考え方のことで、たとえば痴漢被害にあった女性に対して「露出度の高い服を着ていたのではないか」とか「夜道を一人で歩くなんて」みたいなことを言う/思うことです。「世界は公正にできているはずなので理由なく酷い目に遭うはずはない、被害者にも原因はあるはず、自分は真っ当に生きているので被害には遭わない」という感じです。
新型コロナ感染症の拡大初期に、感染した人を糾弾するような風潮があったのもこの影響だと考えられます。運悪く感染しただけなのに「自業自得」とか「感染するような行動をとっていたはずだ」と考えることで、自分自身は絶対に感染しない、と安心感を得ていた人たちが(わたしも含めて)いましたね。感染した人たちに落ち度がもしないとしたら、自分もいつ罹るかと不安で困るわけです。自業自得の他にも日本語には、「因果応報」とか「自分で蒔いた種」、「雉も鳴かずば撃たれまい」、「罰が当たる」といった言葉が存在するのはこの公正世界仮説によるところもあるんでしょうね。
しかしこれは「お天道様が見ている」という日本人の美徳にもつながるので、悪い面ばかりではないですが。。。
その他、「善意の破壊力」(前記のハーフの方への暴言など「悪気はない」で済まそうとするものや、被災地への千羽鶴)についてとか、失礼に遭遇してしまったときのアドバイスなどがありました。失礼な目に遭ってしまったら、相手を心の中で見下す、無視する、といった気持ちの持ちようや、具体的な返し方の指南もありました。たとえば「最近の若者は××だ!」と言うおじさんがいたら(→あ、これも「属性」失礼ですね)、「なるほど、最近の若者は××なんですね」とオウム返しにすると、本人は「はっ」と気づく場合もある、と(そんな良識ある人やったらもともと言わんのとちゃう?と思うけど。笑)、あとは親しい仲なら「お前いつか刺されるぞ!」、目上の人でもあまりにひどい場合は「それはさすがに失礼です」ときっぱり言うのも必要かも。
最後には失礼の「源流」もまとめられていました。なぜ人は失礼なことを言ってしまうのか?の5つの類型:
①古い価値観
②マウンティング
③コンプレックス
④無知や誤解
⑤デリカシーの欠如
失礼に遭遇したときはこの中のどれかな?と考えてみたり、または自分自身でもこれらに陥っていないか?と振り返ることも大切です。特に①は常にアップデートが必要です。昭和にはOKだった狼藉が令和には許しがたいものになっています。世は日進月歩、を肝に銘じなければ。
あと、この本にはありませんでしたが、個人的に気をつけなければと思ったのは他人のミスを失礼にならないように指摘できているかどうか、です。そもそも他者の誤りを見つけるのが仕事の一部だったりするので仕方ないのですが、「これ違ってますよ!!怒怒」みたいにしないようにするのはもちろんですが、深刻にならないように良かれと思って笑いにしてみたりしても、ご本人にとっては恥ずかしい思いをされることもあるかな、と。しかし根っからの関西人なのでつい。。。ということがよくあります。
反省しつつ、他者とのよいコミュニケーションのためにも、日々気を付けたいと思っています。
そして著者が最後の最後に言うのは「時には失礼になろう」でした。
「失礼なことを言ってはいけない」「失礼なことを言われたくない」と思うあまり他人に対して及び腰な接し方しかできなければ、濃い人間関係は築けない、と。失礼な質問やキツめの冗談で相手との距離がぐっと縮まることもあります。
勇気をもってコミュニケーションを取っていきたいものです。
※画像と本文は関係ありません
『失礼な一言』新潮新書 石原壮一郎 2023年5月
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