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200207-09 共生的企業とホラクラシー

週末の3日間、ホラクラシーと共生的企業について聞いてみた。

「役割(roles)」と人間を分けて運用することで、業務の効率化、業務設計や再設計のスピードアップができる。権限が明確になり、意思決定が速くなる。そして、各メンバーは得意な役割に集中できる。その背景思想と具体的なノウハウを聞けた。

今すぐ自身の実務で役に立つものではないが、仕事に関連しそうなコンセプトはたくさんある。少なくとも、自分が果たしている役割を可視化するところから始めたい。

講師のクリスティアーネが何度も繰り返したのは、「権力(と人)のヒエラルキー」と、それがもたらすパワーゲームをなくすことの大切さ。いろいろ思い返すに、ここに尽きるのかなと。

ぼくを含む多くのOD(組織開発)などに関わる人が首を傾げたっぽいのは「人の育成は『組織(Organization)』の役割ではない」の部分。

重要な言葉の定義として、ここでの『組織』=「目的遂行のための役割の構造」(意訳)のことだと理解していないと、フラストレーションの溜まる言い回しだ。

フラストレーションというのは、こんな感じ。
①ホラクラシーでは、一人一人が業務と自分を自己管理できることが前提だが、そもそもそんなメンバーばかりであるはずがなく、学習サポートが必要なはずだ。
②ぼくらが普段使う意味での組織(人の集団の意味)のアウトプットを決定する土台は、メンバー同士やステークホルダーとの関係だ。『組織』が人や関係性を扱わないのであれば、基礎のないところに家を建てようとするようなものだ。

①学習サポートについて、外部からホラクラシー導入コーチやコンサルタントが行う様子。とはいえ、社内にもその憲法やルールをよく理解して実践をサポートできる担当が必要。そのルールに則った行動パターンが定着すれば、あとは内製化できるということかと。

② 人を育てることを扱わないわけではない。クリスティアーネの共生的企業の文脈では、『組織』とは目的遂行に直接関わる「役割」の構造であり、人を扱うのは「社会的文脈」だったり「LOS」という手法だったりする。これら役割と人の両方を内包するのが『企業(Enterprise)』であり、人の部分は欠かせない。これは今週末の講座で扱う。ぼくは参加できないけど。

導入した社内での2種類のミーティング(ガバナンスとオペレーション)のデモンストレーションも面白かった。最大1時間のサクサク進む打ち合わせのお作法を学ぶことで、役割の理解、提案の出し方、それぞれ仕事の同期を学べるようになっている。

現時点の個人的仮説としては、ホラクラシーだけならば、人や社会やそのつながりや文化、習慣などがごちゃっと内包された企業組織の「業務」だけを人から切り離すための薄皮構造みたいなものだ。最近一人でやる仕事を楽しめる性格でないぼくにとっては、あまり楽しそうではない(注: 個人的な好き嫌い)。

でも、その薄皮が機能することで、ほんとの強みにつながるような人の成長や学習に割けるリソース(特に時間とエネルギー)が増えるのならば、とても有効な手法だ。特にいわゆるグリーンのフワッとした話し合いが延々と続くことで仕事が回らない、みたいな状態の場合に有効だ。加えて、クリスティアーネも話していたが、しがらみの多すぎる家族経営企業にとってもそうだ。

残っているナゾは、畑の土をいじりながら自己組織化の話を聴くと全然違って聞こえるかもしれない、というやつ。その背景哲学や体験があってのホラクラシー導入なら、また違う風景が見えるかも。今度しろうくんに会いに行こう。

それから、自己組織化って、オートポイエーシスと一緒なの?違うの?みたいな謎も残ってるんだけど、答えを聞いても理解できないだろうなって思う。忘れてください。

【追記】自己組織化って生きているということだと思う。

デジタル世界のシステム思考 (1) 生きているシステムと機械の違い「オートポイエーシス」、これが現在では、生きているシステムの定義と考えられています。「ポイエーシス」とは、ギリシア語で、ポmylearningsandbox.wordpress.com

いずれにせよ、3日間を通じて愛のある良い場でした。ついつい何かサポートできることを探したくなってしまうくらいに。香苗さんはじめ、運営のみなさまに心からありがとう。(こんなふうに「つい力になりたくなってしまう」ような関係や場って、ぼくの中では組織やチームの本質なのですよね。だから、学習する組織に惹かれ続けているわけで)。


【後日追記】

カギは「自己組織化」という文脈で、ホラクラシーはそのための手法なんだよね。機械のメタファーで表現される「管理と統制」の仕組みから、自然や生物のような「自己組織化」のかたちへ。そうなったら、人や仕事や社会はどんなものなのか。

そのイメージで捉えたときに、ホラクラシーの組織図は自然界のヒエラルキーを模していてしっくり。ただ「Organizationの目的に個人の目的が合致するところにだけRolesを通じて協力する」というぼくの解釈がズレていないのなら、それはあまり自然っぽくはない感。

人ではなく、構造とテンションが統治するっていうのは、確かに自然を模しているのかも。個体とその機能(Roles)の区別は、自然界に存在するのかしら。

ヒロさんからコメント: も一回クリスティアーネに聴くと良いと思うけど、僕の解釈はちょっとだけ違って、
「Organizationの目的と、個人の目的とが響き合う部分があるのなら、そのOrganizationの目的達成のために必要とされるRoleで自分が生かせるところに入り、そのRoleをEnergizeする」
って感じかな。
「合致するところだけ協力する」といった、“子供達に夢を与えるプロサッカーチームになる”ってのはピンとこないけど、“プロサッカーチームになる”ってところは合致するから、そのために“絶対に点を入れられないキーパー”だけやる、ってのとは違う感じよ(^^)

とりあえず、ここまで。

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