【エッセイ】そんな果実はいらねぇ

大富豪で出すカードがない時パスって言う。
パスしか言わず大貧民になる。
これはゲームの話。他愛もないお遊びの話。
勝っても負けても楽しいのがゲームだから。

現実はそうはいかない。
何年生きても慣れないもので、そうは言ってもレベルアップしてなるべくカードを捨てたい。
パスは言いたくない。
でも、現実社会ではパスは時として勝負に負けて試合に勝つことがある。
だったら言おう。何度でも言おう。

パス、パス、パス………………

聞き流す時のパス
目を閉じてパス
その場から離れてパス

右から左へ受け流す
もちろん、左から右でも可

だがそれが難しい。
詩の世界、界隈?は息が詰まるなわばり意識というかよくわからないコミュニティがある。
あ、もちろん一部の話で温かな繋がりや支えてくださる心強い仲間(こちらが一方的に仲間と思っているだけかもしれませんが)も存在しています。
まぁ、色んな村が点々と存在しているといったところでしょうか。
文壇ならぬ詩壇という漆でテカテカにてかった明治維新の遺物か?みたいな壇上の演説台がある。(あくまで個人的印象)

その壇上に上がり何か民衆に演説でもしたいのだろうか?その頂を目指す者がまぁいらっしゃることは知っていた。その数がどのくらいかは知らない。だって興味ないから。

まるでまつりごとじゃないか。
そういうの怖いし策略とか派閥とか勘弁だ。
私はそんな煩わしい世界と関わりたくない。

詩は楽しいよ~!
みんなとりあえず触れてみて~!
ん?絵本で読んでもらったことある?
そうだね!その絵本は詩だね♪
イラストも素敵だね!
紙の艶と匂い、ページをめくる音、懐かしいね!

私にとって詩は脳で心臓で命みたいなもの。
書きたくて書いている。
難しいことなんて知らない。
ましてや詩壇など鬼ごっこの鬼を見つけた時のように猛ダッシュで逃げる。
そんなとこ近づきたくない。

といいつつ私も詩の投稿をしている。
それはかつて一人でキャンパスノートに書いて満足していただけの自分を変えたかったからだ。
詩に限らず書き物、創作物は他人の目に入れてもらわなければ自己満足の趣味で終わってしまう。少なくとも私は趣味で書いてはいない。形として残したくて書いている。存在を確かめたくて書いている。大口をたたく才能も実力も何もないけど行動しなければ始まらないと勇気を出して投稿している。
他人の意見が書き手には必要だと思うから。
行動しながら何処へ向かっているのかな?とか目的地って何処なんだ?と考えている。
考えてしまうけど動いてなければと動いている。

私の頭にブーメランはささりまくっているのだ(笑)

そして私のように幼稚な詩の関わり方をしていてもガチの詩勢が視界に飛び込んでくるのだ。
何か事情も起因も発端もわからぬ論争を繰り広げている。
ありがたいことにお前も混ざれとは強要されないのでだいぶ距離をとって立ち尽くしている。

なんかよくわからんがそんなことしてるから詩ってとっつきにくい狭いジャンルだと思われるんだよね、とこの前言ってたはずの人がその論争に加わっていたりする。

ブーメラン仲間だ。

禁断の果実が有刺鉄線でぐるぐる巻きになっている。
触れたら大怪我必至。
見るに見かねた人が近づいてしまった。
案の定、心優しき非暴力のその人は負傷した。
しかもその有刺鉄線の棘は猛毒なのだ。
毒が体を蝕んでとても苦しんでいる。
きっとその人は回復するまで相当時間がかかるだろう。

巻き込み事故だ。
もう、カオスだ。
当たり屋まで現れる始末。

私はパスを連呼して逃げる。
逃げてもひょんなタイミングで目に飛び込んでくる。
それだけこの界隈は狭いのか。
風通しが悪いのか。
ある時期から換気さえしてないのか。

己を守る為、パスする技術を磨かねばならない。
そして、やっぱり詩の世界は埃っぽい。
時々酸っぱい臭いもする。

「詩」にも枝分かれがあり細かく違いがあるらしい。まぁ、よくわかってないのだけど。

私は私の書きたい詩を書く。ただそれだけのこと。

野望のある者は戦国時代の日本地図へ甲冑を纏い雄叫びをあげながら突進すればいい。
詩壇と呼ばれる天守閣を目指して。

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