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臆病な田舎者。世界へ。

時期尚早と言う言葉がある。この言葉に私はプレッシャーを感じながら生きていた。「こうなったら、こう動く」「落ち着いたら行動に移す」…その理由は「自分にはまだ早すぎる。そこまでの人間ではないから。時期尚早」それが確か10年前だったと思う。ホテルマンになって6年が経ったにも関わらず、自分がやりたい事が何なのか分からずに30歳になろうとしていた。「人事やりたい」と言っていた気がするが、今考えると本心ではなくて本心にしようとしていただけだったのかもしれない。

人が好き。それは今でも変わらない。弄ばれるし、揶揄されることもある。俯瞰で「こいつに昔、俺が説教して泣かしたことあるんだよねー」と何人かの前で言われたり、まあ色々言われたが、気が付いたら彼らは段々離れて居なくなっていた。その時は堪らなく悔しかったが、観る目が養えたおかげで気にもならなくなった。気にするだけ時間の無駄と言う事。気が付いたら古くの友人の他、アーティスト仲間や世界で活躍している方、経営者の皆さんとのお付き合いが多くなっていた。ご縁に本当に助けられている。「海外に行ってね。大きくなってね」この応援の言葉を胸に抱き、諦めない日々は続く。

"書道家"と名乗ったのは今から8年前。書道は幼稚園から高校まで習っていた。それから10年後、久々に書を鑑賞する機会があり、心が震えるほど興奮し再開を決め、師の下で修行を積んだ。当時、付き合っていた彼女と結婚し、暫くして横浜に居を移した。その後も練習に明け暮れ、一般部師範の免状を頂いた。一つの目標を達成した喜びを味わった。その後、書道家として鎌倉で最初の個展を開催した。路上で活動していたバイオリンとコントラバスのユニットに声を掛け、事務所を巻き込みコラボ企画を行なった。生明さんと長原真記子さん、千木良縁さんと、私のサポートチームには今でも頭が上がらない。個展はラストのパフォーマンスを終えて成功に終わった。しかし、作品の未熟さ、線の浅さなど力不足を痛感した個展ともなった。身の程を知った1週間だった。

初心に返り本格的に学び直そうと、毎日書道会でトップに位置されている先生の門を叩いた。つまり、2人目の師匠に弟子入りしたのだ。「道」の世界ではご法度である。1人目の師に対する裏切りを行なったのだから。もちろん、筋を通したが「経験だからやってみな」と言って下さった。申し訳ない気持ちもあったが、武者修行のような感覚だった。とにかく臨書。ひたすら臨書。毎日毎日、暇を見つけては課題の臨書をし続けた。課題の臨書は家で仕上げて、週一回の稽古で提出する。「君は形が良いがコクが無い」…分からなかった。「コク?味?なんだ?」そんな感じだった。それでも、とにかく臨書に明け暮れた。暫くして、「だんだん味が出てきたぞ!」と評価頂いた。ようやく何なのかが理解出来た。線の深さ、厚み、素朴さ。1300年前から教わることが多く、現在でも臨書は欠かさず行っている。

子供が産まれ、育児に追われる日々が始まった。家族の為に、土日祝、年末年始を家族と過ごしたいと思いホテルも書道も辞めて、人材開発の会社に転職した。しかし、付いて行けず、挫折し、鬱を発症。土日祝に家族と過ごすなど夢物語。休みの日は休み明けの事ばかり考えて不安のあまり人と話せず、子供と遊ぶことも辛く、1人で暗い部屋にいてそっとしていて欲しい。そんな日々。「もうダメだ」とギブアップし、8ヵ月で退職した。家族の支えもあったが、退職後に久しぶりに筆を持った時、「俺にはコレがある」と段々と前向きになって行った。書道は生き甲斐であることを知った瞬間だった。

師匠に付かず、1人のアーティストとして生きる。ありきたりな"書道家"ではなく専門性の高い"書家"として。誰がなんと言おうと書家/アーティストとして家族を養っていくぞ!」と決意した。当然、「現実見ろ」「いつまで遊んでんだ」「家族いて好きな事やるなんて」「夢物語」と言われたが、放っておいた。「かっこ悪いことを続けていると、カッコよくなっちゃうんだよね」と永ちゃんが言っていた。この言葉は私の支えになっている。今は結果が全てと、とにかくキャリアを積んだ。ご縁のおかげでたくさんのキャリアを構築する事が出来た。某都内ファイブスターホテルでのパフォーマンスやイベント参加、同ホテルゲストへのプレゼント製作、IT企業でのパフォーマンスと看板揮毫、伊豆高原の某高級旅館内イベントの看板揮毫、企業経営理念製作、命名書製作、建設会社ロゴ製作など、ご縁無くしては築けないキャリアを皆様から提供頂いた。1人では何も出来ないが、1人が皆様の為に何が出来るかを考えて挑んでいた。今でも感謝が絶えないほど、有り難い気持ちで一杯である。

私の目的は書家として家族を養い、世界に貢献出来る環境を作り出すことと、人生を生き抜くことだ。世界に貢献とは、兼ねてから言っている事で影日向で生活をしながら勉強がままならない子供たちに書を教えて、生き甲斐を提供したいという夢である。その為には、まず名を浸透させようと思い、日本では無く世界に視野を向けて活動するようになった。ニューヨークを拠点に活動するチームに所属し、グループ展に参加。海外向けオンライン個展。その他、ルクセンブルクの大会にエントリー、SNSで海外の方々と繋がり積極的にアピールするなど思い付くことはとにかく行動に移すことにした。少しづつファンが増えてきているので、このまま続けていく。まだまだ、旅の途中。何が待ち受けているのか楽しみである。岡本太郎氏が言っていた「なんだこれは!」と言われる作品を製作したい。これが今の挑戦であり、次の扉への鍵なのだ。



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