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続かない、稼げない、コンプレックスなヘンテコ経歴 Vol.3結婚後編

3回に分けるほどのボリュームになると思わなかった。
単純に文章を書く能力が無いだけなんですが・・・。




Vol.1 学生編はこちら


Vol.2 社会人 独身時代編はこちら




結婚後の私

ここからは、夫の扶養という安心感を手に入れゆるゆるとそれなりに楽しく生きてる自分から、好きなことを仕事にしたい!という今の自分に変化していく話です。



再び関東へ 一生ゆるく働くと決めた

2015年、結婚し神奈川に移り住みました。
3か月程専業主婦を経験。
その後、近所でパン屋さんがオープンするとのことでオープニングスタッフとして働くことにしました。そしてまたバイトリーダー的ポジションに。
なにこれデジャヴ??

夫の扶養に入り、生活のために働かなきゃというプレッシャーから解放されました。家事をしながら、自分の都合のいい時間だけ働けるパートはとても気が楽で最高でした。

一生こんな感じでゆるーく働いていきたい!とこの時は心の底から思っていました。


撮影会モデル

初めて自分のSNSが仕事へと繋がった出来事です。

ある日Twitterのアカウントに「撮影会モデルをやってみませんか?」といった内容のDMが届きました。
撮影会モデル??なにそれ怪しくない?水着になんなきゃいけないとか?

以前のカフェでの失敗があるので慎重になっていましたが、送り主はちゃんとした人っぽいしモデル活動は今後も続けていきたい気持ちがあったので会って話を聞くことに。

待ち合わせ場所には華奢で可愛くてしごできオーラ漂う女性が。
「私も現役撮影会モデルです。この度独立して、主宰として撮影会を新しく立ち上げることにしました。モデルさんに寄り添った撮影会にしていきます。ここでオープニングモデルとして所属して頂けませんか?」といった内容。仕事内容は、アマチュアからプロのカメラマンさんまで参加するストリートスナップの撮影モデル。基本私服か和服等の衣装で、水着になることは無いとのこと。笑
主宰の女性は私より3つ年下で、当時20代前半。こんな若いのにコンセプトやプランははっきりと決まっており、聞けば聞くほどしっかりとしたブランディングをされていました。
ここなら大丈夫だろうと、パン屋さんのパートと並行してやってみることに決めました。

実際やってみると過酷で大変なことも多かったですが、勉強になることもとても多かったです。
モデル活動で初めて継続してそれなりのお給料を貰うお仕事だったので、自信にもなりました。

これでもかってくらい撮影の場数を踏みました!

都会の街、田舎、海、森、渓谷、雪山、スタジオetc.いろんな場所で撮影しました。
どんな場所が撮影に適しているか、どこから光が当たれば人が綺麗に写るか、どんな服だと肌が綺麗に写るか、ポージングのバリエーション、自分の得意な角度・・・などなど沢山のことを吸収できました。
撮影に関する知識以外にも、SNSの活用の仕方やSNSでの営業のやり方等もここでかなり学びました。
気づいたらTwitterのフォロワーさんもかなり増えていました。


そんなこんなで撮影会モデルとパン屋さんのパートは約1年半活動した後、子どもを授かったことをきっかけに卒業しました。


ちなみにこのときの主宰の女性は数年後、複数の事業を展開するやり手の美人女社長さんに。
こんな素敵な女性に私もなりたい。



某主婦雑誌の公式ブロガー

妊娠する少し前から、某主婦雑誌の公式ブロガーになりました。
料理やファッションのこと等をブログで発信していました。

産後なかなか更新できず1年で辞めましたが、とても楽しかったです!



出産と夫の転勤と孤独育児

2017年に男の子を出産。
息子が4ヵ月になる頃、夫の転勤で縁もゆかりもない栃木県へ引っ越しました。
見ず知らずの土地での初めての育児は本当に孤独で辛かったです。
息子が3歳になるまでは専業主婦で育児に専念しようと考えていましたが、無理でした。

社会との関わりが欲しい!孤独な状況から抜け出したい!

仕事が何も続かず社会不適合者だと思っていた私でしたが、育児で孤独を経験すると働きたくてたまらなくなりました。
息子が2歳になる少し前から保育園に預け、ギフト関係の工場の事務の仕事を始めました。仕事内容は楽しいものではなく大変でしたが、人間関係が良好で気の合う同世代の友達も出来て、孤独育児で抱えてたストレスはほぼ無くなりました。



また転勤 4度目のパン屋さんでInstagram運用

コロナが流行り始めたばかりの2020年GW、初めての緊急事態宣言中に再び夫が神奈川へ転勤となり引っ越しました。

息子は運良く行かせたかった近所の幼稚園へ入園。
私も早く働きたい!と仕事を探すもコロナ禍でなかなか見つからず。秋頃にやっと見つけたのがまたまた近所のパン屋さんのオープニングスタッフ。いったい何回やるんだ!笑

ここのパン屋さんではSNS担当をやらせてもらうことに。趣味で使っていたミラーレス一眼を使いInstagramをほぼ毎日更新しました!
Instagramの写真を見てくださった本社のスタッフさんから新商品のポスター用の写真撮影を頼まれたことも。自分の撮ったパンの写真が全国の店舗に貼り出されたときはすごく嬉しかったです!

しかし写真の撮影もInstagramの更新も全て時間外労働でした。好きでやっていたので苦では無かったのですが。

そして世間はコロナ禍真っ只中。度々出される緊急事態宣言や外出自粛ムードに、飲食店の売り上げは下がりっぱなし。人件費削減でシフトは減らされ、労働時間数が息子の預かり保育を使える労働時間数に満たなくなった為、他の仕事を探し始めました。



保育園の事務員 本当にやりたいことが見つかった

たまたま見つけたのが、家から徒歩6分の保育園の事務パート。勢いで応募し、採用して頂きました。
実は私の実家は10年程前まで小規模保育園を経営していました。なので保育園という環境は親しみもあり大好きでした。



仕事内容は以前のnoteにも書きました。




事務員の仕事は何でも屋さん。細かい雑用から責任の重い仕事まで色んな仕事がありました。
その中の一つにブログ作成の仕事があり、自ら立候補し担当させて頂きました。
ブログはWordPressで作成。特に頼まれたわけではないのですが毎日ミラーレスで園児の写真を撮り、Lightroomでレタッチ、加工アプリで文字入れ等をしてアップしていました。
また、園児募集のポスターを作ったり、卒園式で流すスライドショーを作成する仕事もとても楽しかったです!

始めは「好きなことをやってお金が貰えるなんて最高!!」と思いながら楽しく働いていました。

それから半年が経ち1年が経ち、ブログの仕事は相変わらず大好きでしたが、このままここに居続けても成長することは無い、事務仕事はそんなに楽しくないし雑用や掃除はやりたくない、人間関係に悩みたくもない、もっと自分の「好き」と「得意」を生かして写真やデザインだけをやることは出来ないのか・・・?と考えるようになりました。



さらに、夫の扶養に依存している自分からも脱却したいと思い始めました。
私はこれから先10年後も20年後も夫の収入を頼りに生きてるのか・・?そう考えると少し怖くなり、最低賃金のパートから脱却したい!お金を稼ぐ力をつけたい!自立したい!という思いが生まれて初めて芽生えました。




学歴と職歴のコンプレックス


学歴が無い。
誇れる職歴が無い。
お金を稼ぐ能力が無い。
コミュ力も無ければリーダーシップも無い。

こんな自分がすごく嫌でした。今でも嫌です。

どうせ私はどんなに頑張ってもお金を稼ぐことは出来ないと、自分で自分の可能性にも蓋をしていました。だから今まで最低賃金のパートや、高校生でも出来るようなパン屋のアルバイト等を自ら選んでいたのだろうと思います。

思い返せば学生時代に親から言われた「好きなことは趣味にとどめる」が自分の中でかなりの呪いになっていました。

好きなことを仕事にする=稼ぐことは出来ない

お金を貰う=苦労しなくてはいけない


と勝手に自分の中で変換して自分で自分を苦しめていました。
実際私が実家に住んでいた頃、母親はいつも辛そうに働いていたので尚更これが当たり前だと思っていました。

正直、今でもこの呪いは完全に解けてはいません。
好きなことを仕事にするなんて上手くいくのだろうか・・・。
辛いことから逃げたいだけなのかも・・・。

今でもそんな考えが頭の中をぐるぐるします。



SHEとの出会い


保育園の事務パートを始めて1年ちょっと経った頃、SHElikesに入会しました。

ここでは「今の仕事辞めたい!好きなことを仕事にしたい!」とTwitterで吐き出す私にも「いいね!❤」って応援してくれる人が沢山いました。

そして皆が自分の好きなことを探したり、好きなことを仕事にしようと前向きに頑張っていました。

お金を貰う=苦労しなくてはいけない」ではないと知りました。

そんな皆に刺激され、入会後2ヶ月弱で保育園の事務パートを辞める決意をしました。

また職歴を汚しちゃう・・・とマイナスに考えていた私でしたが、SHEの皆は「すごい!やったね!」と祝福してくれました。
これは今までに無かった感覚でした。



経歴を振り返って気づいたこと


こうやって文字にすることで気づいたことがありました。


自分の得意と不得意


私、写真やデザイン以外にも発信することも得意かも!

いろんな仕事を経験しましたが、どんな職場でもSNSやブログを担当しがちでした。
実際SNSやブログの更新が苦になったことは1度もありません。



一方で、沢山の人と喋ってコミュニケーションとる仕事が苦手と気づきました。

パン屋さんのように流れ作業のような接客は好きでした。
あとは事務員のように、限られた人とだけコミュニケーションを取る仕事も平気でした。
しかしスナックやアクセサリー販売のように、1日に何人もの人とがっつり話すような接客と、店長業務のようにひとりひとりのスタッフと濃密にコミュニケーションをとる仕事は苦手でした。
でも謎に、副リーダー的ポジションは得意でした。


この得意と不得意をしっかり自覚して、焦らず仕事を探せば上手くいきそうな気がしてきました。


コンプレックスを強みに


また、ずっとコンプレックスだった学歴や職歴も、見方を変えれば強みに変わるような気もしてきました。

少し前に参加したSHElikesのWebデザイン入門もくもく会で「今の仕事を辞めたいけど職歴を汚してしまうことが不安。」とTAさんに相談されているシーメイトさんがいらっしゃいました。

そのときTAさんが「私自身職を転々としましたが、今までの経験を生かしてマルチにいろんな活動ができています。それが今自分の強みになっています。」と仰っていました。

それを聞いて、調理師免許持っててモデルの経験があって事務やカメラやSNS運用が出来る人ってなかなか居ないんじゃない!?とプラスに考えることが少し出来るようになってきました。


ずっとコンプレックスで堂々と人に話せたかった自分のヘンテコ経歴。
もしかしたら、考え方次第ではつよつよ経歴になるのかも???

その為に今までの自分の得意と好きを詰め込んだ、自分に合った仕事を絶対に見つけます!





100%自分語りの、完全自己満note・・・

最後まで読んでくれた人がいるか分からないけど、読んでくれてありがとうございました❤!

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