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不登校。悲しくないのに涙が・・・

人生に挫折なし!

ノリと勢いと運だけで生きてきたゆるふわな母が、初めて壁にぶつかった話。

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我が家は子供が3人。

末っ子長男は、甘えん坊でお豆腐メンタル。けど人一倍優しくて学校や学童では人気者らしい。明るく人懐こい性格で犬みたい。優しすぎて優し過ぎて嫌なことをされてもお友だちに強く「やめて!」とハッキリ言えない。が、まだこの子が一番何も問題なかったな。

長女がゆっくり成長するマイペースちゃんで、歩き出しも1歳6ヶ月。発語も1歳で言葉がきちんとで始めたのは2歳になる頃だった。小学校に上がっても、学校の授業にはついていけず成績は4教科△。良くて◯。長女をなんとかしたくて、小学校4年生の夏に発達新弾テストを受けに。結果は、知能数値が知的障害寄りのグレーゾーン(境界域)小さい頃から本当に手のかかる子で、4歳まで抱っこしたりベビーカーに乗っていたり。

そんな長女を見て育ったのが1歳9ヶ月差の次女。

少し背伸びすれば届いてしまう、マイペースな姉を常にライバル視していた。ちょっと頑張ればできてしまう。頑張ったら褒められるからまた頑張る。負けず嫌い。そんな性格の次女に育ってしまった。幼稚園の生活態度もお利口さん。何も心配ないですと言われ。小学校1年生の時もテストで100点以外見たことがない。成績もオール◎で何やらせてもホント完璧。

運動神経も良くて、リレーの選手になったり、マラソン大会で4位になったり・・・とにかく文武両党。でも長女が生まれ持った能力値が低いから、長女に劣等感を植え付けないように最新の注意を払って接して来た。末っ子も生まれて3人にそれぞれ同じように愛情を注いで育ててきたつもりだった。そんな次女が小学校2年生の時とてもきつい性格の担任に当たった。その担任はなんでも全力で頑張る次女にクラス運営の手伝いや、様々な役割を「できるから」とやらせた。背伸びしていた次女はもう、背伸びすることに疲れてしまっていた。

そんな次女の様子に変化が起こったのは1学期が始まって2ヶ月目。喧嘩したり、自分の思い通りにならないと「きゃー!」と奇声をあげ癇癪を起こすように。実母には愛情が足りないと言われた。

しかし頭では分かっていても、癇癪を頻繁に起こす次女のことが(可愛くない)(私に顔が似すぎて受け入れられない)(自分の性格にそっくりすぎてマジ無理)そんな感情が常に次女に対してあった。形だけのハグ。形だけの「次女が一番大好き」「形だけの褒め言葉」たくさん言ったし、いやだけど我慢してハグしたし。ちゃんと実母に言われたことやったよ。やってたのに・・・

補足で私の両親は小学校の教員でした。父は教頭まで勤めて定年退職し、母は父の定年を機に退職。

ちなみに祖父母まで教員でした。めっちゃ教師一家で育った私。

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次女2年生の3学期が始まって2日目から

「登校拒否」が始まる。

この日から私の高ーい高ーい壁も始まる。

学校に 行きたくない!

この時期末っ子が幼稚園に入園し、私もパートの仕事を始めた。仕事しながら家事と育児をする生活に、少なからずストレスがかかっていたのに気付かず。自分の余裕のなさが招いたことだったとわかるのは、かなり後になって。

学校に行きたくない理由を尋ねたら、「担任がクラスの誰かに対して怒ると連帯責任と言って、全員怒られる」一番最初に聞いた理由だ。もう少し寄り添って話を聞くと「A君が先生を怒らせて、謝らないから先生が4日以上引きずって毎日機嫌が悪い」とばっちりをクラス全員が受けると言う。そして「学校の給食は食缶が空になってないとご馳走様ができないの」と、食べ終わった子にどんどんおかわりさせてよく給食後気持ち悪くなるんだと話す次女。

そこで、次女と話し合って「1時間目は行かない、2時間目は行く。中休みは遊びたい。3時間目は授業によって出る。4時間目は出たくない。給食も食べたくない。」というので『2、3時間目登校』を選択。

担任と2時間強、学校に呼ばれて三者面談。毎日担任からの電話。でも私は次女を学校にフルで行かせることは一度も強制しなかったし、担任にもハッキリ「本人が行くと言うまでは休ませます」と伝えた。そして3学期の間毎日教室まで、幼稚園で終えたはずの送迎をした。お陰様で、学校の先生方とクラスの子供達で私の顔を知らない人は一人もいなかった。

学校に行かれない子は『不登校』とラベルを貼られてしまう。でもこのラベルは他人が付けるモノ。クラスの子供たちは心配こそしてくれるが、学校に行った時は大歓迎で受け入れてくれていた。大人が、世間体を気にして付けるラベル。学校がなんだ!教育委員会がなんだ!先生がなんだ!!

そんなもの剥がしてしまえ!

世間体なんて気にしてたら、我が子は守れない!

自殺でもしたら誰が責任とってくれる?誰も責任なんか取ってくれない。失った命は還ってこない。だったら世間がどう思おうが、親戚がどう言おうが、祖父母がどう言おうが関係ない。親にしか子供は守れない。保護者担った責任。

世界中を敵に回しても ママ(パパ)だけは 絶対あなたの味方だよ

そう胸を張って子供に言ってあげられますか?

この言葉を心から子供に伝えられるまで、私は本当に高い高い壁を登りました。超えた先には家族のより強い絆と信頼関係が生まれた。そして子供たちのより安心できる安全基地となれました。心のバリアはいつの間にか無くなっていた!

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私がどうやって壁を越えたのか?

次女が2年生になった夏から、ファミリーキャンプに行くように。理由は旦那。年に一回家族旅行がしたい。と言われていたけど家族が増えるにつれ、子供たちを連れて新幹線に乗ったり飛行機に乗ったりすることが億劫になってしまった。そのため自家用車で行かれる範囲の移動しかしなくなっていた。旦那の希望は家族で泊まること。子供たちが騒いでうるさいからホテル無理!と伝えたら、外ならいいじゃん!と。アウトドアショップ巡りを始め、キャンプ用品をポチり始めた。数ヶ月で一通り揃えてしまった。買ったら行きたくなるじゃん!と、今度はキャンプ場の予約を取り始めた。こうして強制的にファミリーキャンプに行く運びとなった。最初は嫌がっていた子供たち。なぜなら揃えたキャンプ道具を使いたいだけの、大人のためのキャンプだったから。子供たちが喜ぶキャンプは、キッズ向けのキャンプ場。そしてそう言うキャンプ場は人気!某テーマパークのチケット争奪戦より下手したら激戦かも!そんな中予約が取れた。

キャンプの主役を決めよう

いざキャンプ場に行くと大はしゃぎ!とっても楽しそうで、ココならまた来たい!と言ってくれた。そしてもう一つ子供たちを喜ばせるためにしたことが、ファミグルキャンだった。

お友達とのキャンプは楽しそうだった。追いかけっこしたりゲームしたり花火したり、木の枝集めてきたり。家族だけだとあまり遊びが発展しないが、おともだち最強!それから毎年ファミグルキャンするようになった。キャンプに行く頻度も上がり、慣れてきた頃子供たちも大人のためのキャンプに文句を言うことなく付き合ってくれるようになった。子供達の中でもキャンプというものの解釈が変わったように感じた。緑を見る。夕焼けに染まる空を見る、星を見る。山にかかる霧を見る。朝日を浴びて起きる。火を見る。川の流れるせせらぎ、鳥の囀り焼きの揺れる音、風の匂い。五感をフルに使って子供達なりに自然を満喫!キャンプを満喫!

自然の中に行く機会がキャンプのおかげで増え、日常にも変化が起きた。

まず、母である私の心が穏やかになった。それは心の解放がキャンプに行くことで自然とできていたから。更に、次女に対しての心の変化もあった。あんなに次女のことが嫌で抱きしめたくても、抵抗があったし心の違和感があったのにいつの間にかその気持ちも消えていた。くっつくことでさえ嫌だったし声を聞くことさえ煩わしいと自分が産んだ子なのに次女に対して思っていた。行動、発言、態度、顔・・・その全てが受け入れられないほどの精神状態になっていたことに、キャンプが気付かせてくれた。

この心の変化は私だけではなかった。次女もまた、キャンプを始めたらリラックスできたのか少しずつだが癇癪が穏やかになっていった。私の次女に対しての想いが変わり、態度が変わり、行動が変わった。

次女に「ハグ!膝の上で抱っこ!目と目をしっかり合わせて優しく語りかける!頭をよしよし撫でられるように!しっかりと向き合って話を聞く!素直に心から大好き!と伝えられるように」心のストレスを解放するとこんなに変化があるものなのか!?この時すごう感動した。この時の心の動きは言葉では説明するのが難しい。この出来事を思い出すと、それだけで「悲しくないのに涙が・・・」誰かに話すことがあっても自然と涙が溢れてくる。悲しくないが、心が痛い。辛かった壁。成長するとはこういうことかと納得。

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子供を産んだ母親にとって、自分が産んだ子を何かが邪魔して愛せないこともある。でも母親にとって一番辛いこと。あんなに辛い苦しい思いをして産んだ我が子。本当は愛しくて可愛くて目に入れても痛くないほど、愛情いっぱい注いで接してあげたい。抱きしめてあげたい。寄り添いたい。そう願っても、環境や母親のモチベーションで100%できないこともあるんです!私がそうでした。血迷ったか!?と思われるけど正直この世からいなくなればいいと思ったこともあった。。自分がいなくなるべきか、子供たちか。そんなことを考えてしまう自分もいた。しかしそんなことを考えてしまった自分を、すぐ心の中で咎めた。パートだけど仕事を始めた責任と、母親としての責任、妻としての責任。責任に押しつぶされていた。自分を責めた。そんな自分の精神状態もわからず、形だけのハグや形だけの言葉がけをしていた私。子供たちだってバカじゃない。どんなに月齢が小さくても伝わってしまう。10ヶ月臍の緒で繋がって、血液を共有してきた時間はだてじゃない!言わなくても、態度に出さなくても・・・どんなに隠しても伝わってしまう。だから昔から言う『子は鏡』本当だなと痛感。次女は私に受け入れられていないことにとっくに気付いていた。だからあの癇癪は次女からのSOSだった。SOSに気づいたらあとは母親の問題。私の問題解決ができなければ何も解決しなかった。

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女性は子供を産んだら誰でも母親にはなれる。でも、いきなりちゃんとお母さんはできない。車の運転免許を取るのにたくさん教習所に通って練習しますよね。母親業も同じです。赤ちゃんが生後0日の誕生した瞬間から、母親0日目のスタート。理想は理想。でも現実は赤ちゃんの成長日数と共にある。だからこの時の私はまだまだ未熟で、自分のことで手一杯になっていた。それに気付かせてくれたのが、たまたまキャンプだった。キャンプに行った先の自然だった。ぼーっと景色を眺める。流れる雲を見る。星を見る。川の流れをボーッと見つめる。焚き火をして火を見つめる。キャンプに行くとさまざまな心の解放へのきっかけがあった。自然と対話することができたら、自然は私に一体何を語りかけてくれるのだろうか?

私の心のリフレッシュは今となってはキャンプ!心の解放もリセットもキャンプ!晴れの週末はほとんどキャンプ場にいる現在。主役を決めるキャンプを実践していて、子供達の笑顔と私たち大人の笑顔を繋ぐファミリーキャンプに感謝♡

詳しく知りたい方は、ぜひ私のInstagramを覗いてみてください!

テーマ別に投稿を始めたところです。

Instagram⏩@aki_oniwa 検索してみてください♪

最後までお読みいただきありがとうございました。

また次回の投稿でお会いしましょう!


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