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5年3ヵ月の介護士終了!

ひょんな事から?2016年に突然飛び込んだ、介護の世界。


無資格で、右も左も分からない状態ではじめました。


過酷なお仕事だから、絶対続かない!と家族や友達にも言われてのスタートでした。


でも私にはこれは楽しい!と感じ、きちんと学ばないといけないと、すぐに最低限の資格(初任者研修)を取りに。


モデルやタレントのお仕事をしていた為、派遣という働き方を選んだお陰で、いくつかの介護事業所で働く事に。



続けられるか分からなかったのに、3年の実務経験をクリアしたので、介護福祉士の国家試験に向けて猛勉強。


介護福祉士を取得してからは、色々な勉強をしたからか、電車や駅で人が倒れていても躊躇なく声掛けもできるようになりました。



そこから来たコロナ禍。


介護士というお仕事は、私にとっては腰痛以外はとても好きだったのに、地獄になってしまいました。


利用者さんがコロナになったら亡くなる確率が高く、私達は医療従事者ではないけれど、命を預かっているお仕事だと再認識しました。


緊急事態宣言とか関係なしに、緊急事態宣言同様の自粛を複数の施設でずーーっとお願いされました。


なるべく電車にも乗るなと、また外食が恐ろしくなるほど色々言われ、仕事中も過剰とも思える防備。


TVで流れる1日の感染者数は、介護士には関係ありませんでした。
(何人増えようと減ろうと厳しかったので・・・)


実は、最終的に『休憩では、職員と目を合わせないこと(会話のキッカケになるから)』とも言われ愕然。



“お願いベース”ではありましたが、しょっちゅう渡される近隣のクラスター情報、また施設長などは1年半以上お家に帰っておらず施設の近くに隔離で住んでいたり、


ワクチンがはじまっても感染対策は何も変わることなく、職員一斉PCR検査が定期的にはじまると、一斉に結果が届くのでビクビクしました。



全てを乗り越えて、

『介護士になったからには5年続ける』


という、途中からできた目標を頭に、頑張ってきました。



自粛や対策ストレスで身体にもダメージはきましたが、無事に5年以上の介護士を終了しました。



最後の施設は、サービス付き高齢者向け住宅の訪問介護で、今までに書きましたがはじめて介護度の低い利用者さんが多いところ。


これまで、5ヵ所の介護事業所で働いてきましたが、お別れの際は認知症の重たい方が多かったので、利用者さんが私を認識していただける事はほとんどなく、お別れもお伝えしないようにしてきました。



今回は、私をよく分かって待っていて下さる方が多く、何名かの利用者さんに(本当はお伝えしない方が良いと思いますが)最終日にお礼とともにお伝えしました。



何名もの利用者さんが泣いてしまい、ビックリしました。


こんなに悲しい思いをさせてしまうなら、出逢わなかった方が・・・とも思いましたが、 


その中で、次に何のお仕事をするとお伝えはしていませんが『悲しいけど、宮崎さんが羽ばたけるなら応援したい!』と言って下さった方も。


自分が悲しい時に、それを置いておいて相手を応援できるのは、色々な事を乗り越えて長く生きてこられたからなのかな?と感じました。


『辛くなったらこれを思い出して!』と、私の良いところをひたすら話して下さる利用者さんもおられました。


こんなお別れの仕方は感動でした・・・


職員さん含めて、一生分のありがたい言葉をいただきました。



本当に、派遣という働き方を選んだお陰で、色々な介護事業所の事が学べて、様々な介護度の利用者さんの事がよく分かりました。


命が目の前で消えていく体験もさせていただき、かげかけのない勉強にもなりました。



これで、私の介護士人生は終わりではなく、ただ今はいったん離れます。


そしてこれから、今までの経験を活かして大きなチャレンジをしていきます。


大変な道のりかもしれませんが、たくさんの利用者さんの事を思い出して、前を向いていこうと思います!!



この日記は、介護士でいる期間に、現役職員の声として書こうと思っていたので、これにて終わります。


こちらは残しておきますので、もし介護士にご興味おありの方がいましたら、最初の方に“介護士の1日”なんかも書いているので、読んでくださると嬉しいです。


貴重なお時間を使って、今まで読んで頂き本当にありがとうございました。

 


宮崎亜希