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初めての「みちのく路」

 一本の電話が鳴った。みちのく歌謡文化連盟・白岩英也会長だった。
「望郷…入選しましたよ」
今から十五年ほど前のことである。
 何度もコンクールに応募したが、受賞もないまま歳月だけが過ぎていた。歌仲間で何曲かCDとなったが、全国発売されたのはこれが第一号だった。その時の感動と喜びは今も耳元から消えることはない。

望郷(作詩・岬坊真明 作曲・中條なおと 補曲・花笠薫 編曲・伊戸のりお 発売・みちのくレコード)

 翌年四月、妻と二人で初めて山形の地に足を踏み入れ、山形駅前に宿泊。朝、ホテルの部屋から眩しい蔵王連峰の眺望に感激した。
 会場は目と鼻の先にあった。場所も会う人も全てが初対面。緊張に包まれながらロビーに入ると、大勢の人で埋め尽くす光景に圧倒された。受付付近におられた白岩会長にご挨拶をし先ずはホッとした。あとは川のように流れに沿って会場へと進むだけ。

広いホールの前のほうに席を確保し、いよいよステージの幕が上がる。
 カラオケ大会や、みちのく歌手の華やかなステージ。さらに大泉逸郎さんらゲスト歌手の生歌に感動。そして、いよいよ応募入賞作品の授賞式が始まった。連盟応援団長(日本作曲家協会・七代会長)の「叶 弦大先生」より直々の表彰状を拝受し至福の極み。
 あっと言う間に大会は終了しロビーに向かうと、「望郷」の歌手・中條なおとさんに出会った。「いい詩をありがとう。読んですぐ《これだ…》と思いましたよ」とのコメントを頂き感銘を受けた。

 会場をあとにし、宿泊組は「天童温泉」に向かった。
「十八時から懇親会なので、十分前には着席して下さい」との案内。時間があったので早速、温泉にどっぷりとつかり、感動の一日を脳裏に映し出していた。部屋に戻ると電話が鳴った。
「皆さん着席してるので、すぐ来て下さい」
ビックリした。まだ時間じゃないのに…。大慌てで会場に入ると全員が着席している。大きな円卓がタテに四つ、二列で計八つ並んでいた。一つのテーブルに八人ほど座っているので全体で六十人ちょっとだろう。
妻と二人、その中央の通路を通り一番前のテーブルまで案内された。冷や汗ものだったが、結婚披露宴の新郎新婦入場みたいだった。

 遅刻はしてないのに、完全に遅刻者みたいな感じで恥ずかしいやら、申し訳ないやら…。しかも同じテーブルに、大泉逸郎さん、竹川美子さんらゲスト歌手もおられ嬉しいやら緊張するやら…。
 さらに隣のテーブルには、叶 弦大先生、聖川湧先生はじめ諸先生がズラリ。大ヒット曲「池上線」の作詩家・佐藤順英先生もおられた。白岩会長の挨拶があり、乾杯のあとはテーブルの料理に舌鼓を打っていた。すると司会者が突然、私にマイクを向けてきた。
またビックリした。声が出ないので妻に「簡単でいいから…」とマイクを託した。あとで知ったことだが、これは「みちのく」の恒例行事だった。
つまり、司会者の特権で参加者を抜き打ちでマイクを向け、何かを話せという企画なのだ。馴れてしまえば、これも面白いなぁと思った。

 この宴席で私は、ある儀式を行うと決めていた。
それは「名刺交換」である。だが、雲の上の存在の先生方に、私如きが入り込んでいく隙はあるのだろうか? 私は時折、目を隣テーブルに向けてはタイミングを見計らっていた。しかし、次々とお酌や挨拶にくる人が絶えない。さらに席を外す先生もおられたりで、行くに行けない状況が続いた。あまり遅くなっては失礼だと思い、意を決して儀式に向かった。

 妻にビールを注いでもらって「岬坊と申します。どうぞよろしくお願い致します。主人は声が出ないものですから…」と言ったあとで私が名刺を渡す。そんな計画だった。 最初に白岩会長にビールを注いで、あわよくば会長から、先生方に「岬坊です」と紹介してくれると助かるんだけどなぁ…。と都合の良い算段を期待した。

 妻が白岩会長にビールを注ぐと、「叶 先生に…先に」と言われてしまった。順序としては当然そうだろうと内心思ってはいたのだが。やっぱりなぁ…。世の中そんな甘くはない。算段はあっけなく崩れ去った。
 気を取り直して、叶 弦大先生の前へ。妻がビールを注ぎ挨拶する。私が名刺を渡すと、叶 先生は立ち上がって名刺を受け取られ「はい」と声掛けを頂いた。次々にお隣の先生へ。こうして緊張しながらも儀式を終えることが出来た。

 こういう時は引っ込み思案ではいけない。出る時は出る。引く時は引く。これが私の流儀なのだ…と心で呟きながら、ひとり優越感に浸っていた。そして、中條なおとさんとの歓談。木田俊之ご夫妻と初めての面会も果たした。実は、木田さんはこの前年、デビュー十周年を迎え、テレビ(三十三局ネット)で全国放送されていたのを観ていた。

 とても明るくて気さくに話しかけて下さり、奥様も「これから一緒に頑張りましょうね」と励まして下さりとても嬉しかった。木田さんも私も同じ筋肉の難病を背負っているので、肉体的な面でも精神的な面でも、互いに理解できる存在となった。
翌朝、山形新幹線の天童駅から東京へ。そして名古屋へ。
人生初の「みちのく路」は、かけがえのない思い出として私の海馬に刻まれることになった。(完)

望郷(YouTube)視聴動画
https://youtu.be/FnVfVuSn47k

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