【小説】将棋の滅亡(4/4)

 それは突然訪れた。ある瞬間、私には一筋の光が見えたのだ。
 勝てる。
 私は、その可能性を発見したのだ。もし、あれがルールブックに載っていれば――。私はルールブックを確認した。そして、私の探していたものは、確かにそこにあった。それは「入玉宣言」というものである。とても平たく説明すると、自分の王将が敵陣に入り、さらに他の自分の駒が大量に入り込むと、勝ちになるという特別ルールだ。このルールは生き残っていた。
 私は、その可能性にすべてを託し、ほぼ壊滅状態の敵陣を突っ切り、王将を含め、次々に自分の駒を敵陣に送り込んだ。会長も、私の意図を察したのか、慌ててルールブックを開き、「入玉宣言」のページを見ていた。会長も、慌てて私の陣地に駒を入り込ませたのだが、会長は「王将」を持っていない。王将が敵陣に入っていなければ、「入玉宣言」はできないルールだ。そう、私の勝ちなのだ。私は、ようやくこの長い戦いに終止符を打つことができる。私は今までの長い戦いに思いをはせた。
 パチン。
 その音を合図にふと盤面を見ると、不思議な光景が映っていた。驚くことに、私の陣地に、会長の「王将」がいるではないか。私は、その王将を穴が開くほど見つめた。しまった、私が目を離しているうちに、私の王将が盗まれたのか。そう思って、敵陣を見ると、そこには今まで通り、私の王将もいるのである。もちろん、さっき取った、会長の「玉将」も、自分の駒台の上に乗っている。つまり、今ここに、王将と玉将が、合わせて3枚あるのだ。私にはなにが起きたのか理解できなかった。
 ふと、会長の手元を見ると、なんと、そこには、別の将棋セットがあるではないか。私には信じられなかったが、それしか考えられなかった。つまり、どういうことかというと、53枚のトランプでゲームをしていたのに、もうひとつトランプのセットを出してきて106枚にしました、みたいな話である。会長は、別の場所から新しい駒を引っ張り出してきたのだ。
「え、あの、会長、なにをしているんですか。」
「王将を、出したんですよ。」
「いや、ダメでしょ。」
「どうしてダメなんですか。ルールブックに、それが反則とでも書かれているんですか。書いていないのであれば、それは、いわば、私がルール違反をしたとは言えないわけで、それはただの言いがかりですよ。私に謝ってください。」
 私の心の中で、糸が切れるような音が鳴った。もちろん、この理屈であれば、私も勝手に別のセットから駒を投入することもできる。だが、私の信念がそれを許さなかった。私は、今手元にある駒たちを、頑張って敵陣に進めた。一方、会長は、どんどん他の将棋セットから駒を投入してきた。その結果、会長が先に条件を満たし「入玉宣言」をしたのである。私の敗北が決まった。その後、私は精神を病み、2週間ほど家から出ることができなかった。

 さて、それからというもの、将棋はただの屁理屈ゲームをなってしまった。ルールブックで禁止されていないことはなにをしてもよくなった。将棋は一時期SNSで笑いのネタにされ、将棋大会という名の屁理屈大会や、将棋盤の上で手押し相撲してみたとか、相手の駒をハンマーでたたき割るとか、とにかく将棋はネタとして消費され、バカにされ続けた。そのブームが去ると、将棋はだれも見向きもしないゲームとなり、プロ棋士は嘲笑の的になった。
 もし私が、一番最初に会長が持ち時間を使い切るという嫌がらせを始めたとき、きつく叱りつければ……、もし私が、最初に会長の玉を詰んだときに、相手の言い分なんか聞かずに私の勝ちを宣言していれば……、こんな未来はなかったかもしれない。私が、将棋の未来を壊すのに加担してしまったのかもしれない。

 私は、同志たちとともに、「伝統将棋の会」という団体を立ち上げた。今の屁理屈将棋ではなく、その前の伝統的な将棋を復活させるのが目的だ。以前は多くの者を魅了した将棋、そして今や徹底的に破壊され嘲笑の的となり、そして忘れ去られた将棋。また再び、世界の人々に将棋の魅力を理解してもらうには、3年、5年……、いや10年以上かかるかもしれない。それでも私は諦めずに活動し続ける。一度破壊されたものを立て直すのは、長い年月がかかるのだ。

(了)

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