【小説】将棋の滅亡(3/4)

 会長はしばらく考え込んだ。どうせまた、持ち時間を使い切る作戦だろう。豚キムチ弁当でも牛カルビ弁当でも、なんでも買ってくるがいいさ。私の勝ちだ。この対局が終わったら訴えてやる。そして、二度と将棋のできない人生にしてやる。私は頭の中で、これからの復讐のことを考えていた。しかし、意外にも会長はすぐに次の手を指した。私は一瞬不審に思ったが、そのまま次の一手を指し、「詰み」の形になった。
「まで。172手をもちまして……」
記録係が対局を終わらせようとすると、またもや会長が遮った。はいはい、どうぞどうぞ。さっきの理屈なら、同じ手は二度と使えませんよ。会長は、しばらくすると、王将で私の1枚目の駒を取った。私は、また変な理屈で2枚目を取られてはたまらなかったので、心の中で将棋の神様に謝るいとまもなく、即座に2枚目の駒で会長の王将を取った。
「まで。174手を持ちまして……」
終わった。ようやくこれで終わりだ。
「いや、待ってください。」
また会長が遮った。もう、待つも何もない。会長の王将は取られたのだ。誰がどう見ても、今度こそ会長の負けである。ところが、会長は、落ち着くためにお茶をすすった後、平然と次の一手を指してきたのだ。記録係は、何と言っていいものか、困り果てていた。
「あの、会長、もう、負けです。」
「なぜですか?」
私は声を荒げた。
「だから、王将が取られたでしょ。終わり、お前の負けだよ、バカ!」
「あの、ちょっといいですか、バカという言葉はやめていただきたい、ここはですよ、神聖な場所ですよ。将棋というのは、いくら強いからと言って、礼儀がなっていないと、これは、もう、話になりませんよ。あなたのその精神は、いわば、将棋には、全くふさわしくないと、そう言わざるを得ません。」
「だから、王将がとられたんだから、負けですよね?」
「あの、いいですか、それは、いつ、ですか? いつ私が王将をとられたと言うんですか? 証拠を持ってきていただきたい。そんな妙ないいがかりは、私に対して、失礼ですよ。」
私は、先ほどとった会長の王将を目の前に見せつけた。
「だから、これ、これをとったでしょ、さっき。」
すると会長は半笑いで答えた。
「ですから、そこをよく見てください。そこには、王将と書いているんですか?」
私はとても嫌な予感がした。そう、私の取った駒を見ると、それは「王将」ではなく「玉将」だったのだ。将棋ではなぜか、性能は全く同じなのに、片方だけ「玉将」という名称の駒を使うのだ。無論、「王将」だろうが「玉将」だろうが、取られたら負けのはずだ。
「王将だろうが玉将だろうが、負けですよ、負け。」
「あの、いいですか、ルールブックを見てください。このルールブックの中において、いいですか、いわば、玉将を取られたら負けなんて、一言も書いていないんですよ。」
私は会長からルールブックをひったくった。そこには、確かに、「相手の王将を取ったら勝ち」としか書かれていなかった。
「ですから、私が取られたのは玉将であって、それはつまり、王将をとられた状態にはなっていないわけですから、私は負けていないと、そういうわけです。」
そう言うと会長は、次の手を指し始めた。もはや、私に勝つことは不可能だった。なぜなら、相手の王将が存在しないからだ。
「さあ、早く指さないと時間切れになりますよ。」
私は虚無になった。なんのために対局を続けているのかわからず、意味のない手を指し続けた。しかし、相手も重要なところでミスをしてしまうので、私の王将が取れることもなかった。対局は意味もなく進み、駒の音だけが空虚に響き続けた。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?