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拝啓 オリックス・バファローズの吉田正尚さんへ。

吉田正尚は「魅せる」選手だ。いや、「魅せられる」選手だ、という言葉の方が正しいだろうか。

ある時は静かに三遊間を抜き、ある時は豪快にライトスタンドにぶち込む。
安打製造機でありながら、ホームランバッターでもある。
野球界の中心にいる瞬間もあれば、ひっそりと影に隠れることもある。

どちらにせよ、僕…いや、我々バファローズファンは吉田正尚という唯一無二の選手に「魅せられた」ファンであろう。

背が低い、広角に打てる左打者。入団した時、大学時代の映像を見て近藤健介のような選手になってくれたらいいな、とイメージしたことをよく覚えている。

僕個人としては、プロ野球を見始めてから吉田正尚までのBsに加入したドラフト1位の選手は後藤駿太(高卒・外野手)、安達了一(社会人・内野手)、松葉貴大(大卒・投手)、吉田一将(社会人・投手)、山﨑福也(大卒・投手)の6人であった。つまり、僕にとって「大卒の鳴り物入り野手」というものは吉田正尚が初体験であった。

2010年にプロ野球、そしてオリックス・バファローズと出会った僕にとって坂口智隆とT-岡田は既にレギュラーであったから、レギュラーを掴んだ生え抜き選手と言えば伊藤光、安達了一くらいであった。もちろん、ドラフト後「吉田正尚 ホームラン」だの「吉田正尚 バッティング」等で検索をかけ、高橋光成からのホームランで惚れ惚れしたことは事実であるが、心のどこかで「まあ、入ったチームがオリックスやしな…」「中途半端に終わるんやろな…」「怪我しやすいらしいしな…」と思っていた自分もいた。

そんな不安を吹き飛ばし、「ヤベー奴が来た!!!!」と思わされた試合がそう、2016年3月19日の阪神戦、藤川球児から放ったあのホームランである。吉田正尚らしい、捉えてそのままライトスタンドに突き刺さる弾道。

腐っても関西で野球少年だった僕にとって、藤川球児と言えば阪神タイガースの絶対的守護神であり、名前が似ているという勝手な事情も相まってかなり大きな存在であった。そんな藤川球児から、贔屓のドラフト1位ルーキーがホームランを、それも打った瞬間の特大アーチ。この後人生で何十本と見ることになる吉田正尚のホームランの中でも、絶対に外せない1本となるあの打球を見上げた時の衝撃は、今でも色褪せない。僕が初めて本当の意味で吉田正尚に「魅せられた」日だった。

そんな衝撃デビューで「魅せた」彼も、順風満帆では無かった。2年間怪我で苦しみ、ファンももどかしい2年間であった。プロ初ヒット、プロ初ホームランがどちらもビジター(西武ドームと札幌ドーム)というのが、時に静かに影に隠れる彼らしい気がする。

でもあの2年間、間違いなく吉田正尚という存在はオリックス・バファローズの星だった。いつか正尚がチームを変えてくれるかも。正尚に回せばなにが起きるかも。正尚が怪我しない選手になれば、すごい成績を残すかも。藁にもすがる思いで、我々は背番号34番の背中を期待を込めて追っていたのである。

そこからの彼の活躍は、今更ここに事細かに記す必要は無いだろう。

バファローズファンの期待の星であった背番号34は、我々の期待を遥かに上回り、チームを、リーグを、日本を代表する左バッターに成長した。本当に正尚に起こせば何かが起きたし、本当に正尚が怪我しなかったらすごい成績を残したのである。その数年後に目覚めた山本由伸と共に、パリーグの顔として、代表やオールスターに当たり前のように選ばれる吉田正尚はいつだって誇らしかった。

「オリックスの吉田、すごくね?」 「日本代表の吉田ってオリックスなんや!」なんて、野球に疎い友人に言われることも嬉しかった。自信を持って「すごいやろ??」「ほんま頼りになるんよな〜」と返せることも嬉しかった。

同時期のパリーグ打者としてよく比較され、恐らく彼らが引退した後も比べられることになるであろう柳田悠岐は、いつも派手だ。三振しても、ホームランを打っても、守っても走っても絵になる彼は、とんでもない華の持ち主である。
ホークスも、彼が打つと勝つ。2010年代後半の常勝ホークス、いや2010年代のパシフィックリーグの中心で輝いてた打者を聞かれたら、多くの人間が柳田悠岐の名前を口にするであろう。

吉田正尚と柳田悠岐を比較し、1番の差はチームだと個人的には感じていた。同じホームラン1本でも、優勝争いをするホークス・柳田の一打とBクラスから抜け出す気配もないオリックス・吉田正尚の一打では印象も価値も違う。「吉田正尚個人軍」と揶揄されても仕方ないチームだったことは、圧倒的な四球数が物語っている。彼の選球眼はもちろん大きな要因だが、彼の後ろを打つ打者が居なかったことも無論大きな要因だからだ。

それでも正尚は、黙々と打ち続けた。周りに左右されず、打ち続けた。成績はパリーグの打撃ランキングどれもトップクラス。それでも、タイトル総なめ!と行かないのも、また彼の影の部分だろうか。

柳田悠岐という華が常に明るい太陽なら、吉田正尚という華は時に一番美しく輝く月だったと思う。

吉田正尚という月に、僕達は魅せられた。

2020年までの彼のホームランで、個人的に1番印象に残っているのは仰木彬デーで、披露したばかりの丑王を背に放った決勝の1発だろうか。「正尚に回せば何か起こる」の代表例でもあると思う。

そして、2021年。唯一彼のキャリアに足りなかった「優勝」の2文字、そして我々が彼に求めた「正尚がいつかチームを変えてくれるかも」を叶えてくれた年。あの年初めて「今年、行けるんじゃね?」と思った田中将大からの神戸での逆転劇は、やはり吉田正尚のホームランだった。怪我で最終盤居なくても、日本シリーズでマクガフからサヨナラを決めてくれた。やっぱり、背番号34は頼りになる背中だった。

そんな余韻に浸る中、彼は背番号7を選んで2022年に挑んだ。

最初はエンジンのかからないチームだったが、相変わらず息を吐き続ける正尚に呼応してチームも徐々にエンジンをかけて行った。首の皮、いや指の皮1枚繋がった状態で迎えたホークスとの3連戦、難攻不落・リバンモイネロから同点をもぎとったのはやはり吉田正尚のバットだった。

骨折中だった昨年と違い、優勝争いに正尚がいる。この事実は確実にオリックスの勢いに繋がったと言っていいだろう。実際何度も「優勝争いに正尚がいるのでかいな〜」と思ったのは僕だけでは無いはずだ。

何とか掴んだ2連覇、そして2年連続の日本シリーズの舞台。
日本シリーズの内容は詳しくは良くも悪くもいくらでも思い出していただくとして、なんと言っても第5戦のサヨナラアーチ。

彼のプロのキャリアで初めてのサヨナラホームランは、彼のプロ野球人生で最高の一打だろうし、我々オリックスファンの心にも強く刻まれた。吉田正尚が孤軍奮闘していた頃は土日でもガラガラだった京セラドームを超満員に変え、そして歓喜の渦に変えたあの一打。あの日のプロ野球のど真ん中に居たのは背番号7だった。僕の野球観戦人生でも1番のホームランだと、間違いなく思う。あの光景を一生忘れないし、忘れたくない。忘れたくても、きっと忘れられない。死ぬ間際の走馬灯を自分で選べるのだとしたら、あのホームランの弾道と光景は絶対に入れたい。

結果的に4連勝し、日本一をついに掴むことになるチームだが、やっぱり正尚が打つと流れが変わる、ということを痛いほど実感した日本シリーズだった。

そんな彼が、メジャーに挑戦すると言う。

彼のメジャー志向はバファローズファンなら痛いほど分かる。いつかこの時が来ることを、みんな覚悟していたと思う。僕だってそうだ。

でも、いつか来ると分かっていたことでも、寂しくないわけが無い。叶うのなら、ずっとオリックスにいて欲しい。吉田正尚がいない大変さを、我々はよく知っている。彼ほど流れを変えられる選手を、我々は知らない。何より、ずっとずっと、チームの希望の星を失う事がとても怖い。

でも、「いつか」来ると覚悟していた日が、こんなに幸せなタイミングだと、正直予想していなかった。京セラドーム最終打席が、日本シリーズでのサヨナラホームラン。今以上に幸せなタイミングは、本人にとってもファンにとっても無いと思う。あの日総立ちで受け止めた白球の弾道の思い出と共に、「吉田正尚がいたオリックス・バファローズ」も一旦思い出に出来るのなら、素直に正尚の背中を押そうと思う。

初めて見た彼のホームランと、日本シリーズの彼のホームラン。どちらも現地で見れたことがこの上ない幸せだし、どちらの弾道も一生忘れないし、オリックス・バファローズの吉田正尚という思い出があれで始まってあれで一旦終われることを誇りに思う。


拝啓 オリックス・バファローズの吉田正尚さんへ

ずっとずっと、チームを支えてくれてありがとう。強い時も弱い時も、本当に頼りになりました。

ずっとずっと、特別な存在でいてくれてありがとう。どの選手を応援しているファンにとっても、あなたは特別でした。

オリックスを、こんなにかっこいいチームにしてくれてありがとう。あなたがいなかったら、ここまで来れなかった。

オリンピックでビールかけした時、「オリックスでもやります!」って言ってくれてありがとう。誇らしかった。

本当にオリックスでもビールかけをしてくれてありがとう。あなたが夢見た光景は、僕達も夢見た光景でした。

あなたと同じボールを、そして同じ「優勝」「日本一」という夢を追いかけられた7年間は、僕の、いや僕たちバファローズファン人生の宝物です。

叶うべき夢の先に、チームを連れてってくれてありがとう。

あなたがいてくれたから、僕たちファンもここまで来れました。

今度はあなたの「メジャーリーグ」という夢を、思いっきり追いかけてください。また、あなたの夢を一緒に追いかけられることを誇りに思います。

海の向こうでもめちゃくちゃ暴れてきてください。

7年間、僕たちの希望でいてくれたように、海の向こうのどこかのチームのファンの希望になってきてください。

海の向こうに行っても、僕らはダンベル持って応援してます。海の向こうでも、ダンベル流行らへんかな…笑

海の向こうでのあなたの一打にまた「魅せられる」日を楽しみにしています。

オリックス・バファローズに来てくれて本当にありがとうございました。

もし、日本に帰ってくる時は、またオリックス・バファローズを選んでくれたら嬉しいです。

7年間ありがとうございました。

またどこかで。     敬具

2022.11.03 @okamito_pride

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