芸が無いから、舞台に立つ

2年ほど前に、会社を辞めようと思ってある人に相談にいった。

その人はフリーランスでイベント企画者やブロガーとして活躍している人で、当時の僕にしてみれば眩しいくらい「活躍している人」に見えたからだ。

その時に出た話で、「芸のない人が舞台に立ってもしょうがない」というものがあった。最近のブログ事情とか新卒フリーランスとかそういったものについて話している時に出た話題だと思う。

話の趣旨としては「芸のない人、特徴のない人がステージに立とうとしすぎている」「ブログやツイッターなどがそうだ」「芸のない人が舞台に立ってもしょうがない」という流れだった。

その時は納得して顔を上下に動かしていたが、あれから2年経ち、自分なりにいろんなことをやってみて「少し違うんじゃないか?」と思い始めた。

むしろ「芸がないからこそ舞台に立たないといけない」んじゃないか?

ちょっと話は変わって、お笑いの話をしてみる。よしもと芸人の話だ。知っての通り、よしもとは他の事務所に比べ圧倒的なお笑い人材の供給元になっている。その1番の理由を知っているだろうか?

とある芸人さんのエッセイで聞きかじった話だが、その理由は「自前の劇場をいくつも持っていること」もっと言えば「劇場に立つ機会が圧倒的に多いこと」にあると言う。

まだお笑いの腕が磨かれない頃から、劇場のステージに立たなければいけない。「芸のない頃から何度も舞台に立つこと」がお笑い人材を育てられる最大の要因だという。

それはつまりマーケットに晒される回数が多いということだろう。

顧客に向けてお笑いと言う商品を作り、舞台というマーケットで売ってみる。もちろん最初は売れない。だから何度も商品を改良し、また売ってみる。

その試行回数と創意工夫の量こそが、芸のクオリティを作り上げる。

芸のない人間ほど、芸を身に着けるために何度も舞台に立たなければいけない。

だからツイッターでもブログでもユーチューブでも、芸のない人間がやっている物を批判したくない。
それは後々世界を熱狂させるお笑い芸人の、最初の舞台かもしれないからだ。

そもそも売りに出さなければ、売れないということすらわからない。自分の部屋で空想に耽りながら「これは売れるぞ〜」とムフムフ笑っていることしかできない。

映画化もされた小説『何者』の名言通り、「頭の中にあるうちは何でも名作なんだ」の状態だ。

だから、自称アーティストで終わりたくないなら。やればできるやつで終わりたくないなら。死ぬ時に後悔したくないなら。

舞台に立とう。
ブログを書こう。ユーチューブを撮ろう。マンガを書こう。ラジオを撮ろう。そして公開しよう。

失笑を買おう。冷たい目でみられよう。PV数ゼロを確認しよう。再生回数ゼロも確認しよう。

芸のある人になる道は、自分の芸で人を動かす道は、その先にしかないはずだから。

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