過去問が嫌いだ 〜「要領が良い」とか言われる馬鹿どもへの文句〜

僕は中・高の成績をつけるためのテスト(⇒考査、中間・期末テストなど。以下「考査」と表記。)で過去問を引っ張り出して来る人が嫌いです。やれ「塾で配られてた!」だの、やれ「先輩から貰った!」だの。もちろん、僕も大学受験の話になるば過去問を手に入れて対策することも大切だと言うでしょう。ですが、こと"学内で行われる評定をつけるテスト"においてはそれが許せないのです。
 なぜそんな風に思うのか。僕は考えました。不満はいくらでも湧きます。まずひとつ、「それくらい自分でやれよ」。大学受験は高校で習った全ての範囲を網羅した上で問題が作られます。(そうだと思います)教科書、資料集、問題集。その1冊まるまるから問題が作られているわけです。それに勉強できる期間はどんなに頑張っても高校の3年間のみ。それが共通テスト・2次試験と続いていくのであれば、途方もない量の事項を詰め込み、問題を解けるようになる必要があります。それは流石に酷で非効率な話ですから、目指す大学の問題の過去問を手に入れて効率的な勉強をすることは重要だと思います。「傾向と対策」。よく言われてきたフレーズです。一方、考査の場合はどうでしょうか。範囲の広さはたかが知れています。どんなに広くたって教科書の3分の1から4分の1、もっと短いこともあるでしょう。(高校3年間で各年3or4回ずつ受けるんですから大学受験と比べてもはるかに範囲が短いのは明らかです。)そんな範囲すら自力で勉強することを放棄して、彼らは一体どういうつもりなのでしょうか。(正直な話、私が出会ってきた勉強に不真面目で馬鹿な奴に限って過去問を使っていたのもこんな考えに至る原因な気はしますが。)次に、「正当な評価がされない」。学校のテストは誰がどの程度現状で勉強ができるかを判断し、それを評価するものであるはずです。高校のとき、生物のテストで過去問を入手した輩が一夜漬けで学年1位から3位を取ったのを見たことがあります。真面目に勉強してそのレベルに達しなかった僕も悪いですし、悔しかったですし恥ずかしかった限りですが、それ以上に、ロクに勉強もせず過去問さえなければ平均点を割ったような点数しかとれないような馬鹿どもが、まるでこの学年で誰よりも生物の勉強が出来るかのような評価をされているのが、僕には耐え難かったのです。彼ら以上に真剣に取り組んでできない人もいる、彼らより頑張らなかったけど、テストを気にせず自分のやりたいことをやっている人もいる。それなのに、努力はしないくせに良い評価は取ろうというような人間が、そしてそんな人間が評価されるのが、僕は憎たらしくてたまらないのです。
 他にも考えたら山のように理由が出てきそうですが、打つのも疲れてきたので一旦投稿してみようと思います。
 ※添削とか特にしてないので読みづらかったらごめんなさい。

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