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【いまだに松本人志を擁護する人らの心象を類推したり】

 強弱のグラデーションはあるが、最も純粋(狂信的?)なのは「松ちゃんはやっていない、はめられた」みたいですが、様々ご意見を伺っていると最近はトーンダウンされてきたようで、「やってはいるんだろうけど、女(性)だってそのつもりなんじゃね、週刊誌に売り込むなんて。そんな大したことじゃない」と。さすがに、何故警察いかない・○年も経って・金が欲しいんだろ…というのは減ってきたようですが、まぁ頑として譲らない・譲れないところもちょっと垣間見れ。
 実は、私もそこら辺の感情がまったく分からないでもなく(実際のDVとか、性被害で何十年も苦しんでいる人たちがいるのでそこは慎重にしなければならないが)それは、松本人志的‘笑い’を享受してきたし、そこまでに至る社会のバカバカしさを笑い、あえていうなら音楽に例えればロック的な暴力性というか、それに近いもので熱狂を帯びるのは当然のような気もする。すべてを時代のせいにしてもどうかだが、ダウンタウン登場の80年代前半期にはPOPが全盛になりつつあったが、ロックヒーローも健在だったし。
 日本経済もバブル前夜~隆盛期で高度経済成長期からは勢いは緩やかになったが、まだ何ごとにも手触りの「今日より明日はきっとよくなる」感はあった。字面にするとほんと陳腐にきこえるのかも、今の若い人らには理解しがたい‘やんちゃ’‘ツッパリ’の精神性みたいなものが猛威を振るってたというか。記憶を辿ってほんとビックリするよ、仲間と飲んでて「今から喧嘩売ってくる~」と飲み屋で飛び出していくヤツがいて巻き込まれそうになって…あと、青春回顧すれば、ディスコでナンパとかのやんちゃ流れもそういう方向性だったのかもしれない。

 話が脱線しつつ、「それ、アンタの感想でしょ?」と言われればそうかもしれないが、恐るべしヤンキー文化というか若者と暴力を、70年代後半から90年代前半あたりを文化的に定義したり批評していけば、そこに居た当事者たちはそのような‘雰囲気’を理解してもらえるかもしれない。
 経済の話に戻ると、大学進学率も地方じゃあ3割程度で、製造業の金の卵は高卒で‘やんちゃ’な行動力のあるハツラツとした若者が多くを支え・役割を担い、大きい力になっていたと思う。そこでは、海外事情・状況もたいして興味もない・もてないし、なにしろ「ジャパン・アズ・NO1」がすぐそこでもあったし。数年でモデルチェンジ・フルモデルチェンジを繰り返す車や、オーディオ機器、芸能の世界も単体のアイドルが季節毎に新曲を出すサイクルがあって、ある意味すべてが順調というか、ここが一番大事なところかもしれないが「そんなものか・だ」という幸福な、ほどほどな、ちょっとシラケ・・な気分が満たしていた。それと平行してなのか、また複雑な「オタク文化」が水面下(というと怒られる?)で潜航して~ここは専門ではないのでそちらの人にまかせて、ただそのような時代状況とダウンタウン的笑いが不可分ではなかったと思う。

 ざっと自身の来し方を振り返ったり(まぁ雑ではあるか)そんで、どこまで説明できたかはわからんけれど、個人的にダウンタウン的笑いが日常にビッチリ填まりこんでそこから身動きとれない人たちの気持ちもわからんでもない~という考察めいたものを綴ってみました。  

 ところで、わたしは、嫌なNastyなヤツなので、全部 バカにする。 知るか ボケ!!

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