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応援キャリアコンサルタントと名乗りたい理由~自己紹介②(CC以後)

「カウンセリングなんて自分の意思のない弱い人が受けるものだ」と長らく考えていた私が、まさかキャリアコンサルタント(以下CC)資格をとり、それが生きがいになるなんて。

自己紹介①はこちら

キャリアブレーキ~結婚と転居と出産と

2010年から2011年にかけて、大きなキャリア転換を迎えることになる。
いわゆる女性のキャリアのキャリアブレーキと言われているところ。
M字曲線のへこんだところ。
なぜここをブレーキというのか。
私は自分で選択して結婚を決め、
結婚と同時に大阪から東京へ転居することを決め、
そして出産をしたのに。
実際にキャリアは分断されたのだろうか。
確かに仕事はやめざるを得なかったし、そして東京に友達は一人もいない。
でも毎日新しいこと、未経験のことの連続で、それなりに楽しい。
完全にお上りさん気分でまず自由が丘とか六本木とか代官山とか行ってみたし。一人で。
でもキャリアとしては分断なんだろうなとか。
妊娠中にまぁいろいろ考えてしまった。
無駄に時間がありすぎるからね。。。
無駄に時間がありすぎたので、大学職員時代から時間があれば勉強したかったキャリアカウンセラー(当時、以下資格はキャリコンに統一)にチャレンジしてみることにした。
ほんの軽い気持ちで。
出産後仕事したいとなったときになんとなく有利だろうな、なんてことしか考えていなかった。

キャリコン養成講座に通い始める(大きなおなかで)

よし、やりたい、やってみよう!となったときにすぐ近くにその場がある。
これが東京のとても素晴らしいところ。
そこでの学びは本当に私の人間たるものを変えてくれたといっても過言ではない。
「カウンセリングなんて弱い人が受けるもの」という認識をがらりと変えてくれた。 
そしてただ理論を学ぶのではなく、全スクーリングを通して自分自身のキャリアカウンセリングを受けているようだった。
5年後、10年後の自分の姿を想像したなんて初めてのことだった。
今までその場その場でなとなくやってきた仕事の一つ一つに意味付けができたのも初めての経験だった。

キャリアカウンセリングってなんて素晴らしいの!

カウンセリングって癒しのためではないんだという衝撃。
過去現在未来の自分を整理し、そして考えを整理することなのか。
世の中の働いている人はもれなくカウンセリングを受けるべきじゃないの?
と目から鱗。
キャリコンの勉強はまずまず当たり前の、私がただ知らなかったことを知るための、常識を知ることから始まった。
知らなかったことを知ることがただただ楽しく、
試験の勉強も、それなりに楽しむことができた。
試験勉強期間中に出産し、その衝撃で覚えていたこともすべて忘れた。
胎盤とともに出て行ってしまったのか。。。
また一から覚えなおした。
子育ての寝不足の合間をぬって、理論家や法律をただただ覚えるという苦行にもなんとか耐えた。
ちなみに我が家は多忙なオットがほとんど帰ってこないワンオペ育児家庭。
オットが唯一役に立ったのは、キャリコン試験の予想問題を作って出してくれたことだった。論述が的中した。ありがとう。おかげでキャリコン合格。
合格したならば使ってみたい。すぐに!

キャリア授業のサブ講師に(大きなおなかでその2)

なんとなくカウンセリングよりはまずは大学の授業がしたい。
と、キャリコンとしての経験はまったくなかったにも関わらずキャリコン講師の派遣をしている会社に応募。
採用試験に受かった。なぜだ。。。今考えてもわからない。
元大学職員として、大学と外部委託会社との溝を埋めてみせる的なことを言ったのがよかったのか?
一つの授業にあーでもないこーでもないと、
ちょっとしたことでもすべて話し合ったこの経験は、のちのキャリアに大きくいきた。そして始まったとたんに第二子妊娠が発覚。またもや大きなおなかで、今度は大学の教壇に立つことになる。

講師をしながら思っていたこと、自身が目指したことは、
どう授業を円滑にわかりやすく進めるかであり、
ここにいる学生一人一人のキャリアをどう支援していくかについての思いは非常に足らなかったと思う。それはキャリア講師が、ではなく、ただただ私自身が。
なので、第二子出産を機に今度はキャリアカウンセリングをしたいと考えるようになった。2人の子供を幼稚園に通わせたいと思っていたので、
フルではなく週2、3日の勤務で求人を探した。
これまた業務委託の人材会社を受けたのでどんな大学かは採用されるまでよくわからず。。。
そしていざ採用されてみると。。。

初めてのキャリアカウンセリングはなんでもある大学!

衝撃的だった。まさか薬学部や看護学部があるなんて!
児童学科(教員、保育士)も情報関連も、メディア系も福祉もスポーツ関連もある!
初めてのキャリアカウンセリングにいきなり見たことない学科のオンパレード。
そしてカウンセラーは学科別ではない。
大学のキャリコンはせいぜい履歴書添削と面接練習がメインだろうとたかをくくっていた私はただただ衝撃を受ける。
その日から猛勉強が始まった。
薬剤師の想定される就職先、看護師の就活ってどうなってんだ?
一般企業はまぁわかるとして、ITとかメディアって??
とにかくひたすら調べまくった。
私のgoogle履歴は私の嗜好を判断できず、迷走した広告も流れまくる。
(・・・違う、私は特に薬や治験に興味はない。)

ただ、これから大学キャリコンを目指す方は、こういった、ちょっと大変だけど新たな知見が得られるような大学を志望してほしい。
キャリコンとして一気に経験値が上がりまくる。

もし今後新たな大学に行きたい、転職カウンセリングがしたい
ということになっても、
どの業界でもカバーできるという自信がついたのだ。


学生さんの中には自己肯定感が低い方がとても多いというのは巷の噂。
いや、実際その通り。
ただ私は思う。自己肯定感が低いの前に社会の勉強をしていらっしゃらない。
社会に興味がなさすぎる。
そらそうだ。私が大学生の時もそうだった。社会に興味がなかった。
新聞も読んだことなかった。

薬剤師や看護師や保育士はおいておいて、一般企業を目指す学生の中に
「やりたいことがないんです。。。」という学生さんが95%(私調べ)。
そらそうだ。知らないんだもの。
そんなごくごく狭い範囲内で無理にやりたいことを見つける必要はない。
なので2年くらいお付き合いする学生さんに全員、まず最初に「知ることから」と。
やりたいことを見つけようとするのではなく、まずは「知ろうとしよう」と。
知った上で、知識や視野を広げた上で、そこから選んでほしい。
ラーメンしか食べたことがなければ今日のランチもラーメンなのだ。
麺類だけでもいろいろあるぞ。
うどんにそばに、パスタの中にはもはや麺とは言えないものもあるぞ。
だから

自分の住んでいる世界はとてもせまい。
そこを広げることでやりたいことが出てくる。

ということをまずはわかってもらいたい。
こういうときのカウンセリングはもう支援とかではなく「応援」なのだ。
ある程度のヒントを授けて、あとは「フレー、フレー」なのだ。
そして次の予約のときまでにどう行動できたかを一緒にチェックし、そしてまた「フレー、フレー」なのだ。
進歩できていたらいきいきと面談に来てくれるので一緒に喜ぶ。
できなかったときは恥ずかしそうに来るので次はどう動けるかを一緒に考える。
昔チアリーディングをかじっていた経験がいきた。

自分が寒かろうが、暑かろうが、
ずっと立っていて疲れようが常に明るくそこにいること。
そこですべてを受け止めながら、ただただ応援を続けること。


そうか、キャリアカウンセリングは応援団みたいなところもあるんだな。
応援というスタイルに居心地よさを感じてしまい
年間800~900件のカウンセリングをこなし、
あっという間に6年経過。

そして気が付けばコロナ

大学キャリコンはとても安定している。いい意味でも悪い意味でも。
毎日いろいろな学生さんと関わることができて正直楽しい。
そんな鋭い質問や指摘がとんでくることもない。
温室。ただただ温室。
その温室生活も昨年7年目に入ってしまった。
子どもを幼稚園に通わせたかったので、この2人が小学校にあがるまでは温室でぬくぬくとしていようと思っていた。
実際ぬくぬくしていた。
小学校に上がるタイミングで私も将来のことを考えて動きはじめようかと思っていた矢先に、、、
突然やってきた、コロナが。
小学校は閉校。でも大学の仕事はある。
就活時期真っただ中だし、実際学生さんも不安で不安で困っている。
個人情報を自宅に持ち込むことができないからと、
大学まで出勤してそこからの電話かけやオンライン面談。
子ども2人はお留守番。時短をいただけたのでありがたくお留守番。
しかし考えさせられた。どこかに出勤してしまうことの危険性を。
そして何より、こんな時代に私は何をしたいのかを今一度自分自身に問う日々。
今の世界に生きているような、別世界にいるようなフワフワした感覚。
何かしなければという焦り。
私のコロナ時期のステイホームは非日常過ぎて今もあまり思い出せない。
しかし星野の源さんの「うちで踊ろう」を聞くと、今でも自宅待機のあの時のフワフワがよみがえってくる。
星野の源ちゃんは「こんなときこそクリエイティブに!」とあおってくるし
でも安倍の晋ちゃんはのんびりとソファでくつろいでるし。
いや、私はクリエイティブに生きたい!
今何か知識を蓄積するために動かないと!とやみくもに本を読んだりネットで調べたり、Twitterを始めたり。
なんとなく焦って動き始めたが、少し動くとあらゆる情報が入ってきた。
そして、今まで特に何かを打開するでもなく、ただただ日常を送っていたことに気づいてしまった。
もちろんそれが悪いことでは全然ないのだけれど、その生き方は私にはやはりあわないのだ。もっと動きたいし、多くの人と知り合いたいのだ。

私は孤独ではなかった!

あれはなんで参加したのだったか。。。
法政大学の田中研之輔先生の「プロティアン」を読み、そしてオンラインイベントがあるというからたまたま参加したのだ。
コロナのおかげでオンラインイベントがこんなにたくさんできていることにもしばらく気付けないでいた。
一般社団法人プロティアンキャリア協会とキャリコンサロンさんのイベントだった。

#キャリコンの未来

このハッシュタグにすごく励まされた。
キャリコンを資格ではなく職業に!
キャリコンの未来を、それぞれがそれぞれの立場で考えるという
温かくも刺激的な集まりだった。

私はずっと孤独だった。
キャリコン養成講座のメンバーは実は誰もキャリコンとして働いていない。
たぶん試験も受けていない。たまたまそういう巡りあわせだったのだ。
孤独だった。
大学のキャリコンとは週替わりでひとつのブースをまかされているので誰にも会えないし、情報交換もちょっとした交換日記で業務のことだけ。
孤独だった。
世の中に5万人いるらしいキャリコンはいったいどこにいるんだよ!
あ、ここにいたんだ、と思った。

ずっと人を応援してきたけど、ここで私は初めて応援された気がしていた。
ずっと孤独だったとTwitterに書き込んだら、鬼のスピードで田中先生からリプライが。
「キャリコンに孤独はいらない。みんなでやろう」と。
泣いてしまった。
みんなでやりたい!
みんなでやりたい!!


その勢いで、結構お高いプロティアンキャリア協会のプロティアン戦略塾第5期に申し込んでしまった。
(これが戦略だった??)
いや、値段ではない。今私はこれがやりたい!

そして以前講師セミナーでお世話になった私の中のカリスマ講師、
(株)ウィルアンドスタイルの田中さん(また田中!)のもとでもお世話になることになった。
今(株)ウィルアンドスタイルは田中さんをリーダーに、30名近くの全国の老若男女キャリア支援者がほぼリモートで経営に参画している。
コロナがなければできなかった新しい働き方。新しい出会い。

そしてさらにオンラインキャリアカウンセリングのミートキャリアさんのカウンセラーもつとめることになった。
一歩動いたら私は孤独ではなくなった。
そんな話でした。

今ココ。

そしてここから。



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