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あの日、あの場所で

家を思いっきり飛び出した。
ここ最近で一番の高揚感を抱え、もう人の目なんか気にしてなかった。今にも歌い出しそうな気分。

僕はその日、初めて本気で死のうとした。

生まれた時からかすかに希死念慮はあった。死んだらどうなるんだろうとか、死ねばみんな注目してくれるかなとか。
「死んでみたいな」から「死なないといけない」に変わったのは、去年の冬のことだった。心はどんどん「死」に支配されていった。
吐きそうな日々を耐え、ようやく、あの橋を見つけた時、ようやく開放されると思って心は歓喜に満ち満ちていた。

「おはよう。」
「行ってきます」
いつも通りに親と話して、いつも通りに家を出る。死のうとしてるのは万が一にもバレてはいけない。僕が普通じゃないって知られるのは、僕が死んだ後でなきゃいけないから。
空っぽのカバンに制服を詰め、私服に着替える。親には学校に行くのと言い、学校には休む連絡をした。これで学校にも親にも、暫くは絶対にバレない。ようやく開放されるのに誰にも邪魔されたくなかった。
知り合いにばったり会わないよう、人気の無い道を進む。緊張で心臓が高鳴った。世界がいつもと
違って見えた。

電車が僕の体を揺らす頃、移り変わる景色を眺めながら、これで終わりなんだとひしひしと実感した。緊張は少し落ち着いて、自分の過去を振り返る余裕が出来た。思えば意味の無い人生だったな、って。人に迷惑をかけてばっかりで、誰にも何も返せなくて、幸せになる資格なんて無いって知りながら、ただ辛いことから逃げ続けた人生。
無機質に僕を死へ運ぶ電車に、どこか愛着を覚えた。

電車を乗り継いで初めての土地に降り立つのは、どこか無邪気な喜びを感じたのを覚えてる。この年になって冒険なんて柄じゃないけど。
その時になって、今までしたかった事をやってみたいなって欲求が出てきた。どうせお金が残っても無駄だし、一人カラオケでもって。人前じゃ歌えない暗い曲を泣きながら歌った。椅子の上に立って歌ってみたり、叫び気味に歌ってみたり、ささやかな自由を文字通り謳歌した。

そんな時間もあっという間で、今度こそ、僕は最後を迎えるために一歩ずつ歩き出した。
カラオケの余韻で鼻歌まじりに坂を登る。学校と家以外にほとんど行かない生活をしていたから、少し歩いただけで足が痛くなってきたけど、死に場所に向かってる多幸感でそんな事全く気にならなかった。
近くを勢いよく車が走り、反対側には草木が歩道まで乗り出している。ジメジメと暗い道。
歩き疲れた頃、ようやく視界が明るくなった。

強い風が吹き抜け、僕の髪と服をなびかせる。それは目の辺りまで伸びた前髪はかき分け、その圧倒的な姿を僕に見せつけた。橋の下を流れる川はキラキラと光り、川底の砂さえもきれいな模様を作り出す。何よりも圧倒されるほどの高さ。
こんな所で死ねるなんて、僕には勿体無いくらい。

何時間たっただろうか。欄干に手をおいて、川底を眺める。何回か欄干を越えようとして、なぜか自分には出来なかった。死ぬのは怖くない、死にたいって思いながら、直前で留まる。別に急ぐ必要はないけれど、さっさと行けと自分に怒りたくなった。なぜ行けないのか自分にも分からない。足を欄干の上においた所までで止めてしまう。

日が傾いてきた頃、欄干の外にある街灯に足場がある事に気がついた。パッと飛べないのなら段階を踏んで少しでも死に近づこうと思い、欄干を越えてそこに立つ。さっきまで幾度と越えられなかったその柵は、拍子抜けなほどあっさりと越えられた。
立ってる場所には体を守るものは何一つとして無い。少し足を出してみて、恐怖というものが全身を駆け抜けるのが分かった。

本当にあと一歩で死ねるんだ。

意識が前に進むのに気がついた。
僕はそれに身を委ねた。


チャリン
後ろで自転車の音がした。とっさにしゃがむ。
見られたかもしれないという恐怖で焦った。
しゃがんで目の前にあったのは、すれすれに立つ足とその下の川。もはや覗き込まなくてもよく見えるまで前に進んでいた。
急に怖くなった。

ただの生存本能だって事は分かってる。だけど、死にたくないって思った。
頭の中でつらつらと生きるための言い訳が出てくる。既に何度も否定したその生きる理由は、死を目の前にして大きな存在感を放った。
うるさい、黙れと自分に思う。ここまで来て死なないなんて事あるのかと。今更「死にたい」を否定するのかと。だけど体はもう前には進めない。
さっきまであんなに輝いていた川は、日が沈み、ただただ冷たい風だけを僕に押し付けた。

電灯にしがみつき、時間が過ぎるのを待つ。死ねないのはもう分かっていた。だけど、生きる自信も無かった。後ろの欄干を越えれば生きないといけなくなって、苦しい日々を重ね続けないといけないのだと思うと、橋の内側に戻る事は出来ない。
行きは簡単に越えた欄干は、大きな壁として立ち塞がっていた。

死ねない、だけど生きれない。前にも後ろにも進めなくなって、生と死の狭間でただ体を震わせる。怖くて何も出来ない。「誰か助けて。」なんて、ここに来て初めて思う。誰かに生死を委ねるなんて、以前の僕なら絶対に許さなかった。だけど、なりふり構ってられるほど、僕には余裕がなかった。

更に数時間経った頃、遠くからサイレンの音が聞こえた。特に気にしていなかったその音は、少し遠くで止まった。
ガシッと後ろから掴まれる。振り返ると警察の人が僕の服を力強く掴んでいた。
「掴まって!」
警官は僕に手を差し出した。僕は少し迷って、声掛けを無視する。少し涙が出てきて、こんな時を待っていたのかもと自分に呆れた。
僕はその手を掴んだ。

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