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平行世界へ その7

案の定、綾ちゃんが居間へ戻ってくるには時間がかかった。
放任気味の我が家にもうっすらとある、連絡や予定がない限りは晩ご飯までには帰るという帰宅ルールはもう守れていない。
叱られるなあ。
綾ちゃんが見せてくれた踊りや衣装も忘れて、その考えだけが頭の中でいっぱいになった。

挨拶もそこそこに帰宅すると、やはり叱られた。
というか、三人兄弟で育ち盛りの家族はもりもりと晩ご飯を食べていた。
だいたい鉢盛りになっているおかずがみるみる減る。
母はいつも作るだけでお腹いっぱいと言いながらゆっくり食べるので、叱って食べる時間が遅くなっても大丈夫なのだ。
そう、この状況におかれるのが一番辛いのだ。
叱られるようなことをしたから、叱られるのは仕方ないけど、そろそろ説教はループし始めている。
お腹は容赦なく減っている。
よりによってこういう日に限っておかずは大好きな唐揚げなのだ。
心の底から、綾ちゃんの家に長居するのはやめようと思った。

そんなわたしの心の動きを知ってか知らずか、綾ちゃんはしばらく大人しくわたしを家に呼ぶことはなかった。
もしかしたら綾ちゃんも家で叱られたのかもしれない。
何せ他の人には見せないはずの踊りを見せてしまったのだ。
なんとなくだけどお化粧もしてた気がするので、誤魔化すのは難しかったのかもしれない。
そう考えると綾ちゃんが可愛そうになって、こちらからの接触を控えるようにした。
お父さんのことを一番気にしていた綾ちゃんがわたしごときに気を遣わなくていいように。


そうして、だんだんと綾ちゃんとは疎遠になってきた。
わたしだけでなく綾ちゃんの方もわたしに接触しなくなったのだ。

もしかすると、お互いに誤解したのかもしれない。
わたしはあの踊りは表立ってできるものではない秘術のように感じていて、綺麗だけれど見てはならないものを見てしまった部外者だと思い込んでいた。
綾ちゃんはわたしが綾ちゃんの踊りを気に入らなかったと思ったのかもしれない。
或いは、お父さんの存在を知られるのが嫌だったのかもしれない。
真相は既に追うことができないのだ。


あれから38年経った。
大学生までは広島市内では入れ墨の入った人はさほど珍しいものではなかったし、銃撃事件があった場所に後から通りかかることも珍しくなく、わたしは極道ものが苦手だった。
長く見ることができなかった、『仁義なき戦い』の映画シリーズをこの年になって観る機会に恵まれた。

その中に、綾ちゃんの家で見た祭壇に少し似たものを見つけた。
天照大御神と書かれた書が大きく映ったのだ。
それは固めの杯と呼ばれるシーンであり、おそらく一切の部外者は参加できないのであろう緊張感が漂っていた。

だけど、何か違う。
綾ちゃんの家の居間には、もっと違う文字の書がかかっていた。
それに、もっと神々しい祭壇だった。

これでもし綾ちゃんの踊りが出てきたなら確信しただろうけど、そのシーンはめでたい雰囲気ではなかった。
静かで重たいシーンだった。
まるであの時のお父さんのような。

そこから、記憶に残るあの居間のディテールについて検索してしまった。

綾ちゃんの家は的屋さんだったのだ。
的屋さんは今ではかなりカジュアルになれるらしいが、綾ちゃんの家は昔ながらの元締めのような役割をしていたのではないかと思う。
的屋さんと言えば寅さん(男はつらいよ)の口上が有名だが、あれも全国の的屋さんの仁義を守るために必要な挨拶スキルだったらしい。
そういえば、普段と違ってお祭りの時の綾ちゃんは羽振りが良かったし毎日行っていた。
おそらく神社そのものではなく、的屋さん独自の繋がりを保つために、綾ちゃんは踊っていたのだ。

綾ちゃんの踊りは竜宮城で乙姫様が踊っているようなものだった。
非日常を毎日のものとするための儀式だった。
外部から勝手に見たら、それだけで罪にもなりかねないものだったのだ。
それを上手に逃してくれた綾ちゃんに今では感謝している。
あの光景を思い浮かべることも少なくなった。
普通の日常に戻ったのだ。


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