たけちゅるり

好奇心が止まらないおばちゃんです。

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最近の記事

因島市には、たくさんの港があった。 今もその名残はたくさんあると思うが、わたしがよく利用していたのは、重井という港と木原(三原市)という港を結ぶフェリーだった。 木原側は護岸工事が済んでいる岸壁の埠頭で、重井側はゴミ処理場や砂浜がある近くの埠頭だった。 当時は因島大橋が架かっていなかったため、家族5人がそろって広島市や尾道市から彼岸や盆・正月の墓参りに行くためには、向島(津部田)経由のフェリーか木原~重井のフェリーが一番料金も手間も少なかったのだ。 母が言うには、重井

    • 久しぶりに職に付くということ(続きではありません)

      今の職場で頚椎損傷だけど、上半身はかなり使えて車椅子で自力移動している方がいる。 今年度の途中から働き始めた方で、今の職場は初めて勤める業種である。 怪我をなさる前は介護のお仕事をされていたそうで、クライアントにも役立つ情報を持っているという自信がおありの様子だった。 もちろんその知識はおありになった方がいい職場ではある。 ただ、業務内容が事務補助で営業している人間の補助なのだ。 あくまでも事務補助なので、本来は用意しておいてほしい資料を印刷しておくとか、少し小綺麗な資

      • 表と裏と

        因島市という街が昔、あった。 今はもう尾道市の一部となっているが、昔から知っているあの豊かだった島が、橋で繋がったとは言え尾道市の一部になっていることに何かしら寂寥を感じずにはいられない。 因島はわたしの母の出身地である。 因島出身で藤原といえば当時は特定が難しい姓名の一つで、他には村上と岡野とが三大勢力である。 そう。 因島は古には海賊とも水軍とも呼ばれた人々が、瀬戸内海の難所を押さえていた良港が多く存在した昭和の間は造船の街であった。 母の実家は、わたしが物心つ

        • 反抗期 する側とされる側と

          わたしは中二頃が1番反抗期が酷かった。 なぜなら、両親が社宅暮らしをやめて新築の家を建て、広島市内から東広島市に引越ししたからだ。 広島市内では、すごく便利がよく進路先もたくさんあり文化的な生活が送れた。 公共交通機関が子どもでも分かりやすくすぐに利用できて安かった。 公共施設だって、政令指定都市になって10年程だったのでもあって、充実していた。 東広島市は賀茂郡の大きく4つの町が合併して5年ほど経っていたが、地方中核都市の郊外の街としてはまだまだ発展していなかった。 家

          春は蟲が蠢くとは言うけれど

          年度替わりに向けて日々忙しくしている。 まぁ、通常より年度替わりが年末年始みたいな職業なので、例年通りである。 そんな中でもストレスフルな出来事があり、当事者ではないものの、一時的ではあろうが就寝しづらい状況になっている自覚がある。 こういう時は書くに任せる。 事実のみと言っても無理だが、努力はする。 年度替わりが年末年始というのは現実だ。 なんといってもクライアントも職員も、構成員がかなりの率で入れ替わってしまう。 流動性が高ければそれなりの軋轢は生じるものだ。 あと

          春は蟲が蠢くとは言うけれど

          少しの違いが生命に関わる

          いや、完全に自分のミスなんだけども、睡眠導入剤がどうしても見当たらない。 自分の眠りに関して1番重要で、これがないと眠れないという強迫観念まである薬だ。 10月の終わりに病院に行って処方してもらったばかりで、捨てた覚えもなく、つい5日前までは確かに枕元にあったのに見つからない。 おそらくだが、気の緩みから布団やベッドと棚の隙間とかに落ちたのではなかろうかと推測している。 でも、もう何回もその辺りは探ったのだ。 更になんとなくなんとなくなんだが、10月終わりから11月のはじ

          少しの違いが生命に関わる

          暇なら暇でつまらないし、多忙なら多忙で振り返らない矛

          復職に向けての活動が終わり、全てのことに感謝の意を表したいくらいの歓びは束の間、今週は勤務第1週目を過ごした。 前回の復職訓練から2カ月経って、職場のクライアントは少しずつ変化(だいたいは成長)し、職員もまた対応が変わりつつあるため、その観察のためになんだか緊張した。 珍しく身体中が筋肉痛だったのだ。 中でも肘周りが筋肉痛になったのは人生でも初めてだ。 首や肩の高さが左右違うのは疲れのデフォルトなのだけど、あまりの全身具合に驚いた。 もう今回はただ我慢しているのはやめよう

          暇なら暇でつまらないし、多忙なら多忙で振り返らない矛

          燃費が良くない身体

          顔中が汗だらけになり気づく。 眉毛って本当は汗が目に入るのを防ぐ働きがあるんだなぁ。 周りの老若男女のほとんどが 「気分が悪いんじゃない?」 と声をかけてくれるほど大量の汗。 いや、汗が目に入るのと着てる服がびっちゃびちゃになるの以外は気分は悪くない。 そして、これがわたしには日常なのだ。 歳をとって身体がだるだるになっているとか、更年期障害とか、ストレスが一気にかかるとか、そういう問題だけでなく幼少期からこうだった。 夏だろうが冬だろうが。 もちろん条件としては、そこそこ

          燃費が良くない身体

          書き終わるまで結構時間がかかったなぁ。 時々しか書けなくて、どこまで書いたか思い出すのにひと苦労だった。

          書き終わるまで結構時間がかかったなぁ。 時々しか書けなくて、どこまで書いたか思い出すのにひと苦労だった。

          平行世界へ その7

          案の定、綾ちゃんが居間へ戻ってくるには時間がかかった。 放任気味の我が家にもうっすらとある、連絡や予定がない限りは晩ご飯までには帰るという帰宅ルールはもう守れていない。 叱られるなあ。 綾ちゃんが見せてくれた踊りや衣装も忘れて、その考えだけが頭の中でいっぱいになった。 挨拶もそこそこに帰宅すると、やはり叱られた。 というか、三人兄弟で育ち盛りの家族はもりもりと晩ご飯を食べていた。 だいたい鉢盛りになっているおかずがみるみる減る。 母はいつも作るだけでお腹いっぱいと言いながら

          平行世界へ その7

          平行世界へ その6

          踊りの雰囲気はパターン化されてなかった。 音楽もないので、どのくらいの時間が経ったか分からない。 ほけーっと口を開けて見るだけ。 そこに、綾ちゃんの家の入口にあるシャッターがガラガラガラガラと響き立てて開けられた音がした。 綾ちゃんは慌てて 「お父ちゃんが帰ってきた!」 と居間から出て行き、わたしは一人でまた取り残された。 階段を上がってくるドスドスという足音がする。 え? わたしが遊びに来ている時に、綾ちゃんのお父さんが二階に上がってくることなど、初めてだった。

          平行世界へ その6

          平行世界へ その5

          お祭りに行くのを断って以来、綾ちゃんとの間柄に怪しい雲がかかるようになった。 わたしの中に 「綾ちゃんは普段は慎ましくしてるけど、本当はお金持ちのお嬢さんなんだな…」 という嫉妬心があった。 あと、自分は貧乏な(ちゃんと満腹食べてたし、健康そのものだったけどお金がない)家の子だから、そのことをわざわざ他の人に言わないといけない付き合いは面倒だし恥ずかしかったのだ。 しかし、祭りがない時の綾ちゃんはいつも通りだった。 わたしを憐むでもなく、おべっかを使うでもなく、彼女の普段の

          平行世界へ その5

          平行世界へ その4

          部屋の異様さから比べれば、綾ちゃんとの遊びは普通だったと思う。 当時の小学生にしては落ち着いていた方かもしれない。 何せ花札とかトランプとか。 友達を連れてくるようになったから、と親戚の人が人生ゲームを譲ってくれたそうで、途中から人生ゲームにも夢中になった。 偶には一緒に宿題をした。 何せしっかりした先生だったので、毎日のルーティンワークはこなさないと遊びに没頭できないからだ。 ある時、綾ちゃんがトイレで座を外した時にお婆ちゃんから 「綾ちゃんは学校ではどう?」 と尋ねら

          平行世界へ その4

          並行世界へ その3

          2階は長い廊下に沿っていろんな部屋があるみたいだけど、わたしは1番大きそうな部屋へと案内された。 きっと応接間なんだろうなぁ、綾ちゃんちは広くていいなぁと思いながら、部屋へと入った。 部屋は由緒正しき和室の居間のような大きさで、2部屋あるものの間仕切りの障子を取っ払った広い部屋だった。 そして、どうしても目が離せないことに、見たことがある神社よりも立派な祭壇があった。 なぜ神社の祭壇と比べたかというと、幣が立ててあったからだ。 そして真ん中に鏡が置いてあった。 あと、天

          並行世界へ その3

          並行世界へ その2

          綾ちゃんは一見して気が強いと分かる表情をよくしていた女の子で、階級差が激しいクラスの中での位置どりが掴めない人だった。 誰とでもつきあえるニュートラルな性格というのとは違う、なんというか壁のある人だった。 壁と言っても本人が出すのは独占欲だけ。 友達は少なくていいという態度だった。 わたしだって似た性格だから、一緒にいるにはちょうどいい。 話をすると、この街で小学生が無料で遊べる手段をよく知っている。 貧乏すぎることはないけどお小遣いは少ないわたしには素晴らしい生きる知恵

          並行世界へ その2

          並行世界へ その1

          小学校6年生の春、わたしは初めて広島市内の学校に通うことになった。 我が父は転勤族と呼ばれるサラリーマンで高卒叩き上げ社員だったので、子どもが3人もいると県内のみとはいえ転勤を繰り返して職能を高めるしかなかったのだ。 ただし、そこそこの温情はある企業で年度途中に転校せよなどという無茶はなかったのはありがたかった。 広島市内の企業関連総合病院で生まれたものの、広島市内に住むのは初めてだった。 住む場所は旧市内といって合併を繰り返して大きくなる前の街だったのと、原爆の被害が小

          並行世界へ その1